ある人が生存している理由

 というか。
 例えば。これは金田正太郎的問題。
 好きな女性ができて孕ませたが出征しなければならない男がいるとする。彼が生存したい理由は、その子供に会いたい、ということである、という主張はけっこう説得力がある。 いや別に子供に会いたいとも思わないし、戦場で死んでもいいやと考える男がいるか? これは設定的に無理。というのは、男にとってその女は「好きな女性」だったから。
 つうことは。
 最初に愛があると、生存の理由というのは付随しちゃうもんだし、子供とかできちゃうし、人類になってしまう。
 なので、その男にとって、最初に、「好きな女性」という原初のイベントがありえたか、が、とても重要になる。
 もっといえば、人生の場で、「愛」に遭遇したか?
 で、愛とはなんぞやとかとりあえずスルー。
 ここでは、愛とは、あなたの外部から突然嵐のようにやってきて、あなたがそれまで惰性的に存在した理由をすべて奪い去っていくことを是認する何か、であるとはいえる。
 そうしたイベントの遭遇と了解がないと、人が生きている意味は、死んでないからくらいなものであり、死んでいる人が死に続けているのと大してかわらない。
 ある人にとって生きている意味が愛であるなら、愛のイベントが問われるし、これは、残念ながら、「啓示」の構造を持っている。