たぶん中世ごろまでの日本人のインテリは現代日本人が英語を話すくらいには中国語を話せた
と思う。
中国語といってもいろいろあるけど。
特にそう思ったのは、道元を読んでいると、この人の頭の中は中国語だなと思うことがある。もちろん、反面、とてもやまとことばの繊細さもあるのだけど。
で、道元というのが空海みたいに語学の天才だったかもというのはあるにはあるだろうけど、当時の仏教者=インテリ、というのは、普通に経典を読み下すわけで、その漢字に一音が付けばそのまま中国語として読み下せるし、文法もそれほど難しくない。ので、たぶん中世ごろまでの日本人のインテリは現代日本人が英語を話すくらいには中国語を話せたのだろう。
五山くらいまではそうかな。
明滅亡のあたりになると、さすがに、チンプンカンプン、となるのだろう。が、それでも荻生徂徠みたいな人はいた。
先日漱石「明暗」を読んだが、漱石も普通に中国語を話すくらいはできそうだ。