青春の考古学
終風氏の団塊への憎悪や羨望はどこから来るのだろう。また、いつも何故こだわる必要があるのだろうか。
南無さんの言わんとするところはわかるし、それなりの言説の振る舞いも可能なのだが、この問題は微妙に簡単ではないというか……そこが難しい。
私の世代つまり、S32年生まれという世代は、早熟な子供はすべて団塊世代を見ていた。この見ていたというのは、団塊世代の親の世代に対して、子たるべき団塊世代という構図を見ていた。親の世代とは戦争であった。団塊世代とは戦後であった。そして、その双方が摩滅して消滅した荒土が私の青春だった。
ビートルズの音楽を聴くと吐き気がする、という感情は、どのように伝えたらいいのだろう? というか、その問いの設定がどう聞こえるだろうか。
そして、私の世代から下の世代は、ビートルズの解体のリアルを知らずに伝説を生きてしまった。ジョンレノン、冗談でしょ、と私などは思う。それを上下の世代にうまく伝えることができない。
平和? 反戦? 愛? で? もうお子様は帰ってくださいよ、というふうな感じでもあった。
にもかかわらず、私はその荒土でハイティーンの性欲をもてあましていた。
世界はヴァーチュアルではない。世界とは、単純にいえば、東京オリンピック前の東京の光景だ。あの光景がリアルなのだ。と、もちろん、この感覚もうまく伝えることができない。