哲学書を無心に読むこと……的

 増田⇒

俺は哲学史を勉強することばっかり考えてこれまで哲学書を無心に読むことをしてこなかった。なんてもったいことをしていたんだろう。深夜に目が覚めてから三時間、さっきまでデカルトの「方法序説」と「省察」を読み耽ってた。すぎょかった。こんだけすぎょいものを読んだ上で反発しようと思って、一定の批判を行えた批判者のみなさんもすぎょい。哲学ってすぎょい。というよりも西洋の知すぎょい。安易に西洋中心主義的思考ファック!とかいうの禁止する。

 まったくそのとおり。
 ただ、「方法序説」と「省察」のすぎょさっていうのは、なんというかデカルトのプレゼンテーターのすぎょさでもあって、哲学それ自体とはちょっと言えない点もある。
 「方法序説」は、"Discours de la methode "であって英語だと、"Discourse on the Method "。はてな語に訳すと「デカルト・メソッドについて本人が語る」という感じ。「ボクはこんなふうに考える -- 効率的かつ実用的な世界系思想の新しい展開」みたいな感じ。
 もうちょっと正確に言うと、"Discourse on the Method of Rightly Conducting the Reason in the Search for Truth in the Sciences"なのだが、はてな的には、「似非科学を避けて普通に正しくものを考える手順ってこんなふうにしたら」みたいなもの。
 読むとわかるがこれは、ちょっとした青春記にもなっており、うまく訳すと、べたに増田かよになる。あるいは分裂君のエッセーと質感的に実はそう変わらない。もちろん、歴史やそれを支える文化的な背景は違う。
 英語版は只⇒Discourse on the Method of Rightly Conducting One's Reason and of Seeking Truth - Project Gutenberg
 ただ、ちょっと哲学史的になるが、Reasonの意味が実はかなり難しい。bon sens、英語だと、good senseなんだが、このsenseは日本語のセンスではなく、意味を成すかのセンス。辻褄が合わせる能力というか、これは計算能力を実を指している。なんか日本でとんちんかんに理解されている「コモンセンス=共通感覚」ではなく、コモンは共有的であると認識できるということで、1+1は2だよねっていうのは前提にしようねみたいな能力を指す。つまり、これは脳の中の計算機を実はさしていて、いわゆる「常識」ではない。まあ、こんなふうに書くとトンデモ扱いされてしまうのが日本なのでしょう。
 まあ、その他、いわゆる哲学書はけっこう普通に読めるものがある。ギリシア哲学などは訳がよければ相当に面白い。ハイデガーですらプラトンを超えているかどうかと考えさせられるくらいプラトンなども優れているし読みやすい。
 哲学は別に難しいからどうのこうのというより、ある特定の人々が生きるために必死にばたばたしている状態の燃料みたいなものなので、自分だけであるいは同好だけでやればいい領域なので、へぇ頭いいみたいなプレゼンテーション効果をもった時点でまるで勘違い。
 
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