そういえば

 朝方ぼんやりと考えたことがあって、コンビニに朝飯買いに行っている間に忘れたが、これ読んでちょっと思い出した。
 ⇒私の大学
 これについては特にコメントしない。思うことはあるけど。
 で、思い出したのは。
 以前、人間の転機は27歳かなみたいなことを書いた。あっちのほうだった。
 ⇒極東ブログ: 世の中の仕事ということ
 ま、それはそれとして。
 この頃、けっこう多くの人が、というか、ある程度律儀に生きてきた人が、自分は悪い人間なんじゃないかと内心思うようになるのではないか、と思う。この言い方はつたなくて、ちょっとくらい感性のある人間ならティーネージで、自分って悪いな欺瞞だな矛盾だなと思うくらいのことはある。ただ、そういうの違って、20代後半から30代前半に来る自分の悪さ感というのは、なんというか、うへぇ俺って私ってべたに悪じゃんという身も蓋もないもの。ひどいな、市ねよ俺くらいの感じで、自己嫌悪とかで処理しきれないもの。薄汚さというのか。汚いな俺みたいな。
 ただ、これは性、というか、性欲というか、性欲によって形成される人間関係への踏ん切りというか成体化というか、この歳こいてみると、当たり前のことかもしれない。
 ただ、この時期の悪の発現というのは、まわりの人間をどっかーんと不幸にする可能性があって、他の人の人生巻き込むなよなんだが、きっつい。こういうとき、関係者に大人が二人もいれば不幸を最小限にできるかもだが。
 なんとなく世の中、大人が減ってきたかなと思う。
 団塊世代は社会順応していくとき、欺瞞=ロマン、と、欺瞞=大衆、と、欺瞞=悪、という感じで悪の感性を持つ、おとなーはいた。
 俺の世代から、どうも悪をきちんと受容しづらくなってきている。
 昨今の30代前半とかみると、悪の回避=性の関係の回避、みたいのが頭でっかち(死語)になってるのかもとも思うが、子細にはわからない。
 「悪」の問題というのは、このあたりの契機に加え。
 どうも中年以降もかなりたちの悪い問題だ。
 単的に言うと、世の中、こいつ悪人じゃんというのがあり、この悪人の感触というのが凄く難しい。いわゆる犯罪人とか、特定イデオロギー的な悪ではない。なんか、もう、じわっとその存在から滲むような悪がある。
 ま、俺にもあるからろくなことが言えないが、こうした問題はとてもやっかいだなと思う。
 今日の人生論を終わります。