以前にも書いたと思うけど奨学金のこと

 ⇒大学のこと

卒業したら、20年近くかけて奨学金を返さなければならない。
20代前半にして何百万も借金を作ってしまった。
覚悟はしていたものの、具体的な額を見たら、さすがに眩暈がした。
でも、これで良いのだ、この四年間で、それに見合うだけの経験が出来たはずだから。
そう納得しようとしていたところだった。

 私は返却終えてとても寂しかった。
 毎年毎年年末まとまったカネを返した。これをクリスマスに充てられたらとか若いときは少し思ったし、インフレ時代に育ったせいか金利を低くするようにできるだけ早急に返してしまった。借金は嫌だったし。
 でも、終わったら、空虚だった。年が終わるころ、奨学金返済に充てるカネ残しておこうという気持ちは長いこと、なんというか、青春からエールをもらっているような気がした。
 学生時代はよく勉強したつもりだったが、まるで足りない。
 社会に出たら、Reading assignmentsもReportsもなくなった。自分で勉強するしか勉強するノルマはない。自堕落に学ぶようになった。好き勝手なことを学ぶようになった。そんなものを学んでいいのかという領域まで手を伸ばした。空しいと言えば空しい。良かったか悪かったかわからない。
 食い物と遊びをけちって本を買って読んだ。でも、たぶん、ほとんどは結局空しかったのだろうと思う。

奨学金も借りず、親からたっぷりの仕送りを貰い、
自分なら勉強しなくても入れるような三流の私立大学に通っている人がいる。

 私はそれについてはまるでなんとも関心がない。
 ちょっと露骨にいうとできるだけそういう人とは会わないようにしていた。というか、経験的に会わないようにするようになった。妙にしんどい。
 私は友情とか親密さかが苦手な人でもある。インテリジェンスとか知識とかより心が大切だというのはわかるのだけど、現実の場面では、なんか心の宗教みたいな倫理観が醸し出されると引く。
 イヤミのように聞こえるかもしれないけど、東大とか一流私学とか出の人のほうが、話していて楽だ。知的なフォローしなくていいし、変なコンプレックスのリアクションに配慮しなくていい。ただ、東大さんはけっこう彼ら自身が屈曲していて、それはそれでちょっと引いた。
 ⇒大学のこと 2
 発言者、女性とのこと。

しかし私の周りには、男性を学歴で判断する人が、意外と多い。
ここでの判断というのは、恋愛対象となりうるか否か、である。

 女性が男性を学歴で判断するというのは、これも身も蓋もなく言うと、そういう女性を避けた方がいいのだが、これには二つある。いわゆるブランド学歴で男を選ぶのは即避けろだが、そうではなく女性もある知的水準を男性に求めてしまうのをしかたないなと思っているふうはある。
 日本社会の場合は、実際には学歴というのは、お家の階級なのだ。慶応出にはそれに類する叔父様や叔母様がこねこねくっついているのである。むしろ東大にはそれがないこともある。田舎の秀才というか。で、階級社会の日本を見たら、官僚になるしかないかと思うし、忠誠しているといい嫁さんが貰えるようにできている。
 学歴なんてお家の階級の従属なのである。だから、お嬢さんたちは、お母様の言うこと以前に趣味に従っていたらその階級が継続する。相手の学歴なんか考える意味すらない。相手の学歴とか言っている自体、すでにべた負け。
 ついでに言うと、非モテ男性とかだけど、これはわかる面とわからない面があって、ま、ま、いっか略。