だいたいわかった

 昨日、なんつうか心の問題を見つめていて。
 こんなのとか⇒finalventの日記 - 心の中の暗い核
 それから瞑想っていうもんでもないが静かに考えるというか瞑想するというか、ま、だいたいわかった。
 なんか新興宗教の教義というか不気味な精神分析みたいな話になるかもしれないし、真理とか真実とかはまるで関係ないが略、ま、メモ書きしておこう。もしかすると、人によっては危険な話かもしれないのであまり読むことをお勧めしない。

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ココロの問題: 音楽: toutou,coita,キタムラタケシ,青山紳一郎,森山フラミンゴ,反す刀で,翠蓮,DJ TAKI-SHIT
 まず人の心の構造は、案外サエントロジーのエングラムのスキームでいいのではないかなとなんとなく思っていた。ただ、これはサイエントロジーが正しいというわけではない。
 歴史を見てもそうだが、人というのは救済を求める。救済とはなにかというのは、曖昧で意味をなさないかのごとくだ。個人救済とユダヤ人のように民族の救済、さらにはキリスト教のように実際には宇宙(存在)の救済とあるにはある。
 サイエントロジーに私が詳しいわけではないし、詳しくもなりたくないおぞましさだが。
 ちなみにウィキペディアは信者の手が入るらしくドライな説明にはならない。
 ⇒サイエントロジー - Wikipedia

ダイアネティックスは、心因性の病気や人間の振舞いの逸脱の原因とされる反応心を取り除くカウンセリング技術であった。

 エングラムについては言及されていない。別に秘密でもないはずだが。
 英語版も信者の手が入るようだがやや詳しい。
 ⇒Scientology - Wikipedia, the free encyclopedia

The Church of Scientology says that Scientology is concerned with "the study and handling of the spirit in relationship to itself, others and all of life."[9] By contrast, Dianetics is more narrowly focused on getting rid of the reactive mind, the "bank" of traumatic memories known as engrams which are said to inhibit one's success and happiness.[10]

 この"the reactive mind, the "bank" of traumatic memories known as engrams"、つまりエングラム。
 さすがに日本語の解説はない。
 ⇒Engram (Dianetics) - Wikipedia, the free encyclopedia

In Dianetics and Scientology, an engram is defined as an unconscious, painful memory. It is stored in the stimulus-response unconsciousness (the reactive mind) rather than as a normal memory.

 私はハバートの考えには同意しないが、エングラムのようなものがあるとは思う。とりあえずこれをエングラムとしよう。
 というか、自我そのものが、エングラムのリアクションというかリフレクションで形成されると考えていた。自我そのものが生存防衛のための機関だろう。
 人が真理知覚なりで救済されないのは、原点の「人(意識)」それ自体の原点がエングラムのリアクションとしてできているという一種のメタトラップになっており、これに対して、無我とか神なり梵なりの合一というのは、ありきたりの同一のトラップではないかと疑っていた。単純に言えば、すべての救済、すべての宗教は欺瞞、と。
 ただ、私はハバートと類似であれ違う考えてを持っている、としても、ハバートのように取り敢えずはエングラムが個別のものかとなんとなく思っていたし、実際にそれは悲しいことに知覚できる。知覚できることがもう苦しみ以外のなにものでもない。
 が、昨日思ったのだが、どうもエングラムは個別的でもあるが、メタエングラムが存在するなと。エングラムについての理論のメタ性ではなくメタエングラムがあるだろうな。
 つまり、人に自我を形成させるメタ・トラウマというものが、人間に埋め込まれているな、と。このあたりの発想はちょっとGの影響もあるかもしれない。というか、私はかなりGの影響にあり、以下もGの教説にまた接近している。単的にいえば、クンダバッファ論である。また、ヤノフの原初療法的かも。ま、そんなこんなもどうでもいいとして。
 で、自分のエングラムを読みだせるものか、ちょっと物騒なんだがこの機会に挑戦というか、ま。で、意外にあっさり読み出せた。もっと心理的なリアクションがあるか、あるいは心理的なリアクションがないと読み出しは失敗かとも思ったのだが、最初からべたなエングラムではなくメタなエングラムを読み出そうとしていつもとは違って感情のパスを使わなかったのがよかったのかもしれない(ここでの感情の意味はG)。
 で、なにが書いてあったかだが、「お前は誰にも愛されていない。お前は生きていてはいけない」というシンプルなものだった。こんなものが意識の核に埋め込まれて50年も彷徨っていたのだな俺ってばとほほ、という感じだ。ま、このエングラム自体は驚くべき発見というわけでもないが、まあ、なるほどなと。別の言い方をすれば「お前が嫌いだ、死ねよ」である。2ちゃんとかにあふれているあれだ、というか、これはメタエングラムで多くの人に埋め込まれていてそこから自我が形成されるから、社会的な抑圧がなければ噴出するものなのだろう。ああ、当然だな、と(もしそうでなければこんなものを表出するドライブのエネルギーが想定されない)。
 人はこのエングラム(メタエングラム)の反照物として自我を形成し、そこに各種の統覚を行うのだろう。というあたり、キリスト教が救済の構造とされるのがべたにこのメタエングラムと対照しているのもわかった。つまり、「神はお前を愛しているし、お前は死ぬことがない(復活)」というわけだ。これでエングラムをリライトすれば人は救われるわけだが、問題はたぶんこの救済は、リライトではなくさらに自我の反照物として形成されるのだろうから、もとのエングラムのリライトは実際にはかなり少ないのだろう。
 ただ、ちょっと不気味な言い方だが、ぼんやりと神を感じているというか、自分のなかでエングラムがリライトされているふうな部分はありそうだ。神経験の経験的な学習効果であろうか。
 仏教の場合もかなり類似かと思うが(「お前を救う、だから死ね」かも)、さておき、このキリスト教的なリライトのスキームは実際には、人間は子供を産むことで、「私は子供を愛しているし、子供は私の死後も生きる(復活)」と同じなのだろう。人はそれにドライブされて子供を産むのだろう。ただ、キリスト教の場合、ここに奇妙がガニバリズムがあるし、性交にもそれが潜んでいるが略。
 メタエングラムはこのように人に子供を産ませるドライブとしても機能するし、キリスト教と限らず共同幻想=神は、つねに「神はお前を愛しているし、お前は死を免れた」という」エングラムに対して、条件を設定することで神への権威付けを行っている。「〜すれば、神はお前を愛しているし、お前は死を免れた」ということで、そのコンフォーミティ(conformity)を離れれば、「お前を憎む、死ね」となる。ま、2ちゃんというのはだから神でもあるな。
 エングラムの圧力が強ければ、人は発狂するか病気になる。ま、このあたりは経験と洞察で悲惨に了解したのだが、実際には、多くの人は石化する。無感覚になる。エングラムの圧力に耐えられないという防衛を自我に組み込む、か、あるいは、エングラムの圧力が弱い人もいる。親に十分に愛されているとか。
 石化ではなく再獲得もありうる。単純にいえば、カネ、権力、知識このいずれかを得るなら、社会=共同幻想=神を従わせることができるからだ。
 エングラムは社会的には、石化によって大衆に被服従させ、ある一部の人間を再獲得によって神化を志向させる。そういえば、左前の人がやたらと倫理的な問題を踏み絵のように出して、日本人は罪人といった布教を行うのもカネではなく権力ではなく人々を知によって制服したい欲望なのだろう。
 石化も同様に快楽による妥協が含まれているか。
 エングラムをリライトすることは無理だし無意味だし、石化と再獲得はいわゆる共同幻想化なのだろう。というか、石化は対幻想の実際の権力発現だろう。
 エングラムから解放されれば自我と統覚は同時に崩壊して、一瞬に発狂するのではないか。むしろエングラムの圧力による発狂のほうは自我と統覚の強化が社会意識=共同幻想とのバランスを失った結果だろう。
 まあ、人間そういうふうにできているのだな。
 以上のスケッチはもっときれいにまとめられるし、各種の理論との整合もつけられるだろうが、無意味だろうな。くだらね。俺一人いずれこの世から消えていけばいいのだからな、と、そのあたりにどうも私のエングラムの呪詛は生きているのか。
 
追記
 「お前が嫌いだ、死ねよ」エングラムは、こんな単純な言葉ではなく、身体レベルで通常コード化されているので、そう意識的に理解してもほとんど意味ないにはない。逆にいうと、身体レベルなり無意識レベルで他者からそこをアクセスされるとひどいことになります。というか、現代社会自体がそういう操作性で成り立ってはいるのだけど。