そういえばと覗くと

 こんなものが⇒セくらえ管理部 - 真昼からシャセイ日記 - 都内近郊

 たとえば小林秀雄を読んで人生が狂った平凡な人間がどれぐらいいるか。中上健次を読んでキャリアを棒に振った凡庸な人間がどれぐらいいるか。

 小林秀雄でも吉本隆明でも、それを読んで人生が狂った人間が多い。私もその部類と言われるにやぶさかではなく、またそれが平凡なり凡庸な人間であると言われても、まあ、どうとでも。
 私は、小林秀雄吉本隆明に傾倒した読者なのだが、類似の読者に対して密かに違和感を持ち続けている。それを言えば、私だけの小林秀雄吉本隆明といった醜い文章にしかならないのだろうからベタには書かない。余談でいうと、この二人は文章がうまい人ではない。
 ただ、もう少し外形的にいうなら、小林秀雄吉本隆明もありがたいことに八十を越えて生きた。文学者がその歳になる、しかもすさまじい研鑽の果てにそこまでたどり着く。その知ることが、私が老いて生きていく支えにもなっている。私は彼らの一時期だけを読むということはしない。その生涯をすべて読む。そしてそのパーツを審級しない。人の生き様の姿の総体を思う、私の人生の経験のすべてを賭けて。特に彼らについては、書かれていないが隠されてもいない恋愛の事件と人間の「罪」というものも含蓄が深い。
 小林秀雄を読んで人生が狂うというならそれをもって生涯を全うすべしである。傍から見える凡庸さの内部にあるいはその狂気のなかに、なにか震撼すべきものを思うだろう、というか、思わない人間は以下略。