ちょっと補足ぽいけど

 またネタかなと思ったら、けっこうベタで感動しますた。
 ⇒分裂勘違い君劇場 - 社員全員がホワイトカラーエグゼンプションの会社で働いてたことがあります

そう考えると、今回の阿部さんは、とてもいい仕事をしてくれました。
あのまま、「ホワイトカラーの労働は時間で計れるようなものじゃない」という正論を唱えられたら、
ホワイトカラーエグゼンプションに反対する人たちは、苦しい戦いを強いられたところでした。

 のあたりはネタでしょうけど。
 で、と。
 私もどっちも首突っ込んだことがあるけど、時代が古いのでなんとも。
 ただ、サラリ社のすごさというのがあることはわかった。
 なんつうか、衆愚力というのか。
 一つは有能な人間は飼い殺ししておくことに意義がある。これは他社に奪われないためとかもあるけど、いざというときとかもすげー威力を持つ。
 もう一つは皮肉みたいに聞こえるけど、衆愚を率いるに愚将をもって最善となすみたいなことがある。あのですね、リーダシップだけが問われる仕事っていうのがあるというか、サラリ社の仕事っていうのは突き詰めるとそういうもの。つまり、有能な人の1/3の能力の人でもその程度の対価で飼っておけるなら、3倍の量を投下すればいいのですよ。すげーですよ。その人間を使うにはそのレベルを理解できるリーダーでないとダメ。人間っていうのは愚かな人でも上に立つ人を有能さより信頼や共感で選んでいるものです。
 そして、仕事っていうのは社会との接点というのがあるから、些細なところで人情が問われるのだけど、人情力っていうのは仕事の能力とどうも反比例するところがあって、そうしたマクロ効果をサラリ社はもっていたりするわけです。どーんと。