なんと言うべきかちと言葉に詰まるが

 ⇒義務を放棄した大人たち : 経営者倶楽部

だが、別に少子化が問題だからではなく、人としての普遍的な生き方として、「若いうちに結婚し、子どもをもつと楽しいし、あとが楽だよ」という常識はやはり必要なのだと思う(もちろん、常識とは違う生き方をする自由が確保されていることは、いうまでもない)。その常識を用意しておくのは、大人の義務なのだ。そして、同時に、とくに異論がないならその常識の範囲でやっていこうと思う若い人に、「全部自力でやりなさい」ではなく、親身に世話をしてあげるのも、大人の義務なのだと思う。

 沈黙してしまった。
 なんと言っていいかよくわからん。
 辰巳渚は1965年福井県生まれということで、俺より若い。彼女が大人なら俺は爺だ、いや、そのノリじゃないよ。
 基本的には⇒極東ブログ: 世間知というのは「それは言っちゃだめよ」ということ
 まあ、それはさておき。
 「親身に世話をしてあげるのも、大人の義務なのだ」というあたりは、さて、と。
 まあ、それはそうかな。

私のように、戦後教育を受けた親に育てられた子どもたちは、かつての子どもたちとはまったく違うのだ、という事実を、50代以上の人たちは真剣に理解しなければならない。「大人の常識を押し付けるなんて」と違和感を覚える人は、大人の常識があるなかで育った人だ。

 もちっと正確に言うと、私より上の世代は常識が欠損していることがある。先日死んだ青島幸男あたりから私の世代までは戦後の反動がある。
 関連⇒finalventの日記 - 昔は良かった……それはもちろんないのだけど
 まあ、この問題は通じない。
 上の世代にも通じないし、下の世代にも通事ない。しいていうと、私の世代から辰巳の世代くらいの10年レンジの特異な自覚かもしれない。
 とはいうが、そのレンジにいたおかげでいろいろ助かったことはあるにはある。
 大正、明治の日本人はいるだけでいろいろ教わるものがあった。善人とか賢人とかいうわけではないのだが。まあ、やはり、通じない問題だろうな。