未来の教育?

 これを読んだ⇒【正論】梅田望夫 「IT革命」から「I革命」の時代へ-コラむニュース:イザ!

 今の中学1年生が大学を卒業して社会に出るのは2016年だ。小学1年生ならば2022年だ。その頃に「私たちと情報の関係」はどうなっているのだろうか。そんな想像力を働かせないと、子供たちにどんな教育をすべきか見誤る可能性がある。

 反論とかでは全然ないが、全然違った方向のことを思った。
 昔、私が師事した先生だが、障碍者の子供の母を集めた小さな講演で、ふと思い出したように、「みなさん、茄子の花を見たことがありますか」と言って見回した。挙手を求めてはいなかったが、茄子の花を見たことがない人が多いように思えた。そして、先生は、子供たちに「茄子の花を見せてやってください」と言った。「学ぶことは本物を見るということです。本当の物を見るということなのです」と。
 私は茄子の花が好きだ。あれは可憐で美しいものである。

 茄子の蔕にはそういえば棘がある。ネットを見回したらこんなのがあった。
 ⇒【おばか】 綺麗な茄子には棘がある : イヌスタブログ 200605
 そして、茄子と私は痛みという官能的な関係になる。知るというのはそういうこと。
 情報がどんどん洗練されていく。茄子の花の映像も棘の経験の情報も出てくる。でも、茄子の花の実物を見るということがどういうことか、その棘の痛みがどんなものであるか、それを知ることが教育なんじゃないかとふと思う。
 ふと思うという以上はないが、この地上に生きているというある実感と深まりの何かに関係しているように思う。