仁徳天皇陵……とか
天皇陵のわけないじゃん、は、さておき。
日本の古代史とやらはあれを、軍事ベースの政権と見る。
あほか。と私は思うのだが、思っても無駄で、あほは私っていうことになるので、古代史学なんかどうでもいい。
なぜこの極東の島にあれだけの富ができたか、というのが原点。
そしてあれは、極めて祭祀、というのが条件。
そこからダイレクトにわかることは交易のための公義=貨幣のインフラということ。あれ(前方後円墳)が日本国内にあるというのは権力のシステムではなく、交易の副次的なシステムなわけで、この列島から海を介して富を得るシステムが確立していたということ。
つまり、これは華僑でしょう。
ただ、どのような華僑かがわからないし、どのような宗教かがわからない。
大枠では道教であることは間違いない。
難しいのは、なぜこの島にその富のシステムが出来てしまったのか。山東半島とか朝鮮半島のほうが便利じゃないかと思うのだが、つまり、そうではない。
富に変換される生産物がこの島にあったということだが、この島でなくてはならないものだったのかがよくわからない。
案外ただ、大陸や山東半島とか朝鮮半島のあの時代の制約だった可能性はある。というか、中国は南北朝だったわけで。
まあ、そう見るのが無難か。
というのは、前方後円墳をシンボルとする文化=交易圏が、どうもその後の王権とうまくつながっていない。ようだ。
いずれにせよ、倭というのは、傭兵的な移住から、河内定着するあたりで、ソグドとかユダヤ的な交易集団にはなったのだろう。