毎日社説 いじめ自殺 叫びからなぜ目をそむけた

 私はごく個人的な感性からこうした提言が大嫌いだ。吐き気するとまで思う。

 再び目をそらすことなく、なぜ少女の叫びを受け止められなかったのか、当時の自分たちの内心まで顧みて考えてほしい。いじめ問題を抱えない学校はまずない。

 そうした学校が我々の地べた続きの社会からまったく離れて存在しているわけがない。我々の社会がそうした学校と同質のものをもちつづけ、我々はその欺瞞をバランスして生きている。こうした問題に向き合うとき、欺瞞な我々は良心の痛みをまず感じる。もちろん直接的に社会にそれを反映する道順のようなものはないにせよ、その痛みの感覚からまた社会に向き合い自己との関係性を問い直す。そうした小さい良心のなかで社会の悲劇の根が枯れていくと思うというかそういう小さい局面を確認しながら日常を生きていく。