野暮な話ではあるが

 ⇒セくらえ管理部 - 真昼からシャセイ日記(「セックスなんてくそくらえ」管理人日記) - セックスブロガーズダイアリー#8

 傘をさして歩く女子高生を見てその値段について考える。
 あらゆるものが貨幣と交換可能であり、取替え可能である。

 たぶん、この問題の本質は、貨幣と交換可能=市場価格あり、というか、無名の欲望の対象を創出する装置としての市場が、性的な欲望の可能性の根拠なのだろうと思う。つまり、話が逆で、女とかが価値に見えたときは欲望が発生している。
 ただ、その欲望は、いわゆるレイプのような違法性ではなく、市場のルールのなかに人を屈服させようという服従と従属の欲望のなにかだろう。
 別の言い方をすれば、女なり(性対象の象徴)が価値に転換するような審級性の可能性は、女なりの価値をバブルさせることで社会をそのような市場的な欲望に転換させる装置なのだろう。もっと簡単にいえば、女が買えるということは、買いづらい高値の女を生み出すことで欲望をふくらませ人を巻き込むという装置なのだろう。