困ったことがあったら極東通信

 というわけでもないが。
 私の困ったこと解決法をご紹介。
 困ったことというか悩み解決のゴールデンルールというか。
 では。
 悩んでいることの最悪の事態が現実である可能性を考えて、それが70%以上の蓋然性なら、それを現実として受け入れるように考える。というか悩みをその現実受容の方向に変えていく。
 たとえば、私は馬鹿ではないか、劣等感とか悩むとか……で、ゴールデンルール……私はたぶん(70%)馬鹿なんだろう。だったら、それが現実というものであって、劣等感とか持つ必要ないんじゃないかとか。
 で、ここでちょっと微妙なんだけど、開き直りじゃないんですよ。無理しないこと。ええ、俺は馬鹿でぇと居直るというのではないんですよ。
 だいたい悩むっていうのはいやな現実への対処方法のミスなわけですね。現実に対して思考とか幻想で抵抗しているわけですよ。でも世の中は現実の力学で成り立っているわけです。
 たとえば、俺はモテない……一生※※かもとか……で、それの蓋然性できるだけ客観的に考えて現実を受け入れていく。
 で、その現実に対して改善策があるか、ないか? ないときは、諦めるんですよ。
 そういえば、すげー昔。
 ある重要な試験に合格するか落ちるかとか悩んでいるとき、一生懸命悩んでいて、ふと思ったのですが、悩むという努力は試験結果にどのような影響を持つか? 答え、否定的。つまり、悩むだけ無駄なんですね。悩むというのは間違った努力なんで、ダメならダメだし、できるならできるだけのことをするだけのこと。努力のエネルギーの無駄。
 よくスポーツなんかで精神力とかいうけど、あれは体力とか技術にsignificantな差があれば、精神力なんて意味ないんですよ。どんなに早く走れる人間がどんなに精神力があっても、チーターにはかなわない。そんだけのこと。
 ま、しかし。
 カネがないとかいう悩みはそう解決できはしないか。実際に追い詰められているとなにかとダメだけど、そうでなければ、カネがなくても生きられるように生きているだけでよいのでは。
 愛されたいのに愛されないというのは、つらいし、それが現実だとさらにつらいものでもす、が、でも、人によってはただの現実だったりするわけです。
 あと、……悩んでいるとき、けっこう、自分に嘘ついていることが多いですね。そういう言い方もなんですが。ただ、虚飾のない自分というのを見つめるのは惨めなもので、まあ、そういう惨めさに少しずつ慣れていくのがいいのかという感じはしますが、これはあまり他人に勧められるものでもないけど。
 ああ、あと……以下略。
追記
 蓋然性というのは確率っていうことで、ただ、これは当たるか当たらないかというより、現実というのものを確からしさとして再認識しようということ。
 で、これっていうのは、幸運とか奇跡を期待しないことです。幸運とか奇跡みたいなことは長く生きているとなんどかあるんだけど、それでうまくいくのに賭けるのは愚かだろうと思います。まあ、このあたりは人生観の問題かもしれないけど。