日経春秋 春秋(8/29)

 ⇒極東ブログ: ヒーローものゲームの攻撃性、そんなのどうでもいいじゃないですか

 以前に書いたし、みっともない話だが、私は小学生低学年のときは、居住区の関係から友だちに排除され、それゆえにいじめられっ子だった。成績も凡庸だったのだが、四年生あたりからクラストップに自然になった。と、その変容とともに「ブリキの太鼓」ではないが、内心の奥深くで「やられたらやり返すからな、私の忍耐の限界を越えさせたら殺してやるかな」と決意した。たぶん、その殺気のようなものが周囲に伝わり身を守ったのかもしれない。いじめられっ子ではなくなった。そして孤独に生きるしかないとも思った。ま、そんなところだが、ある種の子供には、そういう敵意のアイデンティが必要なのではないか。それは悪いことかね、と思う。問題は、それを暴発させない大人の体制の側にあるのではないか。