これもなぁくらっと幻惑

 ⇒池田信夫 blog:愛国心の進化

愛国心が存在するためには、当然その対象である国家が存在しなければならないが、主権国家という概念は17世紀以降の西欧文化圏に固有の制度であり、家族や村落などの自然な共同体とは違う。国家は、ベネディクト・アンダーソンのいう想像の共同体であり、具体的な実体をもたないがゆえに、それを愛する心は人工的につくらなければならないのである。

 まあ、国家=主権国家、はとりあえずいいとして。

こういう利他的な行動を遺伝子レベルで説明するのが、群淘汰(正確にいうと多レベル淘汰)の理論である。通常の進化論では、淘汰圧は個体レベルのみで働くと考えるが、実際には群レベルでも働く。

 愛国心なりが遺伝子の利他的な行動とかに直結して説明されるとかになるとしたら、トンデモですよ。……うーん、どこから説明したらいいのかずきずきするけど。
 あるいは、すでに愛国心とかいう文脈は終了して、それとは別に利他的な行動が議論されている?

しかしアジアが帝国主義諸国の植民地支配下に置かれるなかで、日本は急いで国家意識の育成につとめた。その天皇制のミームが近代化を支えたわけだが、他方ではそれが暴走して破局的な戦争をまねいた。

 それってめちゃくちゃな議論ですよとか言うには、きちんと議論しないといけないだけど。(天皇制のミームじゃなくて江戸時代に日本が作り出したイデオロギーだろうと思う。)
 放言ですみません、という程度のメモにしておきます。(俺って洒落のわからんやつかも。)