日経社説 親日国モンゴル訪問の意味

 社説とは直接関係ないが、モンゴルというのは、内モンゴルを含めてモンゴルなんだというのがまるで認識されない時代になったなと思う。
 ⇒内モンゴル自治区 - Wikipedia

清代に入ると漢族の移住が進むようになった。辛亥革命後、外モンゴルが独立を宣言し、1924年ソ連の衛星国としてモンゴル人民共和国となるが、内モンゴルではチャハル部出身の徳王が独立運動を行い、1939年に日本の関東軍の援助で張家口で蒙疆連合自治政府を成立させた。終戦後、徳王は内モンゴルを追われ、1947年に中国共産党の影響下でウランフを長とする内モンゴル自治区人民政府が成立した。これが現在の内モンゴル自治区の起源で、中華人民共和国自治区としては最も早い成立である。

 こんなページがあった⇒「内モンゴルと外モンゴルのあいだ」

「内外モンゴル統一」運動の歴史的諸相は、「モンゴル人民共和国史」や「中華人民共和国内蒙古自治区史」といった国民国家の歴史叙述のなかでタブー視され、消極的且つ否定的に扱われてきたところに特徴があった。その意味で、20世紀モンゴル史のなかの1945年は封印された歴史とアイデンティティの記憶であり、研究の空白地帯であった。