お金があるということ

 まったく凡庸な価値観で生きるなら別だが、今の世界でお金があるというのは「責任が重い」状態だと思う。そして同時に「○○業を嗣ぐか」「それとも貧しい状態に変えるか」「それとももっとビジネスを広げるか」という選択肢を突きつけられている状態であるとも言える。
 お金があるというのは行動や選択に制限がかかるということだ。とにかく金の匂いのするところにわさわさ人が集まってくる。そして気が進まないことでもやらざるを得ない状況に追い込まれるということだ。なにより一番めんどくさいのは税金対策だし、それを専門家とかに任せたのにドジ踏まれて尻ぬぐいに汚名を晒すとかあるし。
 だいたいお金があるといったって今の日本の社会そんなにキャッシュで持てるわけもないし、基本的には社用で切るしかない。
 お金があるというのは単にお金があるということだけではすまない。(他の条件が同じとしたら)「責任」がお金のない人よりも重くのしかかっているということなのだ。お金のない人が数少ない選択肢から「選んで」享受していることを、お金のある人は諦めるか、逆に「義務」として行わなければならない。お金のない人が「だめもと」と思えばしなくてもいいことも、お金のある人はしなければならない。お金にぶら下がっている他の人を生かすめに、そして「まともな人間」だと「世間」に承認してもらうために、枕営業とか無視するとか、どうでもいいような嫉妬に耐えるとか。
 そして「お金がある」というのは「いざというときすげー面倒」ということでもあると思う。いちばん何かが必要なときに他人がまったく信頼できないというようなことでもあると思う。
 もっとも、お金があってもそれなりに気楽な感じで楽しげに生きている人はいる。サイバラの漫画に出てくる高須先生とか。「お金がある=すべてにおいて負担が多い」というような単純な図式も違うと思う。いろいろ工夫して抜け道を見出している人もいるだろうし、募金とかで社会を助けているとか、富んでいるなりの文化があったりするよね。ワインとかなんだとか金がないとわからないうんちくの世界とかあるし。もちろんそこから不運にも貧乏転落する人もいるだろう。