金日成も金正日もソ連人

 議論の余地はあるのですが。
 ⇒金正日 - Wikipedia

出生がソ連であったため、幼いころは「ユーラ (フルネームはユーリ・イルセノビッチ・キム)」という名前を名乗ったが、朝鮮半島の解放後、おそらくソ連軍政期から朝鮮式の「キムジョンイル」を名乗ることとなった。1980年の第6次党大会にて金正日という表記が確認された。また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では金正一の字があてられていた。ちなみに朝鮮人が父母の名から字を取ることは当時、稀であり、朝鮮の伝統的な命名ルール(行列字)ではあり得ないこととされている。

 ウィッキはなかか乙なことも書いている。

2004年9月1日に高英姫夫人の死亡が報道された。高英姫は帰国した在日朝鮮人二世である。このため日本では、子供の金正哲が三代目後継者として浮上し労働党創建60周年にあわせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアは北朝鮮世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日による後継でさえ経緯が不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能であればあえて挑戦するかどうかについておおいに疑われている(金日成#後継者参照)。

 なんですよね。
 ちなみに。

金日成の死
 金日成は、1994年7月8日に死去した。その直前には、米朝枠組み合意があり、次に当時の韓国大統領金泳三との南北首脳会談の話が持ち上がっていたために、世界に大きな衝撃を与えた。北朝鮮政府の公式発表では、執務中に心臓発作を起こした事が死因とされている。長く心臓病を患い、82歳という高齢から一般的には病死発表は事実と考えられている。前日には党官僚の「形式主義」を声を荒げて非難しながら「やめていた」はずの煙草を吸ったのちに寝室に入ったとの情報がある。このため一部の北朝鮮ウォッチャーからは、金正日との対立や暗殺を疑う声が上がった。しかし、米朝枠組み合意後に金日成を失うことは北朝鮮にとって利益になることではなく、暗殺説は根拠が薄い。
 
また、韓国の中央日報が「南北首脳会談に関し金正日と口論になり、その場で心臓発作を起こした」と報じたことに関し、北朝鮮は激しく抗議した。同日、金正日金日成に会っていないことが記録上明らかである。

 「暗殺説は根拠が薄い」の論理もまた薄いんですけどね。