ここまでくるとさすがにこれはネタか、と

 これ⇒世に倦む日日 : イスラム法と光市母子殺害事件 − 官僚司法のルーティンワーク

果たしてシンガポールの鞭打ちは、刑罰として人間の人格的尊厳を侵す不当な残虐行為なのだろうか。喜捨や無利子金融と同じ思想から出発した刑罰なのである。別に脱構築主義に便乗するつもりはないが、我々の中のヒューマニズムや合理主義の概念や表象は、あまりに西欧近代中心に組み立てられすぎているところはある。ひょっとしたら鞭打ちの苦痛が犯罪者の更生に役立っているかも知れない。応報刑として機能するのみならず、教育刑の効果を発揮しているかも知れない。

 ちょっとこの手のブラックなユーモアには耐えられませんな、儂。