キリストの処女降誕のこと

 ルカになるとさすがにヘレニズム色が濃い。
 マタイはなかなか含蓄がある。
 まず、冒頭ダビデ系図があるがだが、これが父系ということもあるのだが、ヨハネにつながっている。当然、ヨハネの血統はイエスにはつながらない。
 この系図だが、英語ではbegatを使っていたはず。で、ギリシア語では、ちと忘れたが、語源は「種とする」だったか。つまり、これは、精子の一貫性なわけだ。
 また、この系図ダビデ神話を踏襲していることもあり、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻と蒼々たる暗喩がある。
 そして、極めつけ。

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。

 この箇所は、西欧風のクリスチャンたちがクリスマスに重ねてどんちゃか解釈してしまうので、あるべき解釈というのを読んだことがない。
 どう読んでも、ヨセフは、離縁することが正しいと考えている、としか取れない。
 自分の種によらぬ子の父となることは正しくないとヨセフは考えているし、それは妊娠月齢から自然にわかることだという含みがテキストにあるのだと思う。
 ぶっちゃ毛的にいうと、レイプか姦通かというふうに読まれることをマタイ記者は前提としている。
 このあたりの当時のイスラエルというかガリラヤ地方か、の、風土と法の状況が今ひとつわからない。
 史的イエスはこうしたテキストからは再構成されないのだが、当時でもレイプか姦通の子というのはあったであろうし、それはどういう扱いになったのか。姦通の場合は、石打刑で決まりなので、とすると、このテキストはレイプを指していると読まれることが前提になっているとしていいのだろうと思う。
 そうした母子像の一般像を歴史にうまく還元しないと、初期キリスト教団というかマタイ記者の背景がよくわからない。
 ミシュナーとかできちんと福音書解釈した書籍とかないのだろうか?
 
追記
 そういえば、イエスは、マリアの子とされているわけで、そのあたりも私生児またはレイプの含みがあるのだろう。
 そういえばそういえば、クルアーンでは、マルヤムの子イーサだな。
 イスラム教の起源は、どうしても史学的研究がしづらいのだが……うーむ、ちょっと口をぬぐっておこう。