兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
(塚本訳)
意識なくやってしまっていることもあるかもしれないが、私が意図的は絶対にしないことの一つが、他者を責めるのに聖句を使うことだ。
イエスは人を裁かない。
では、福音書にあるこの裁きのような言葉はなにか。
私は、ユーモアだと思う。
大工のヨシュア君(たぶん非モテ)は大げさなことを言うために、仕事で見慣れた梁を話に持ち出したというあたりで、セム・ハムの世界のおおらな笑い声が聞こえるように私は思う。
人は聖書をいろいろに読むだろう。福音書をいろいろに読むだろう。
そして、多分福音書は歴史を何も示唆していないだろう。
それでも、私は、福音書のなかから、朗らかな笑い声をいつも聞き取る。笑うイエスの声をきちんと聞き分ける。
イエスがここにおられたら、私にこっそり言うであろう、木から下りてきなさい、そして、冗談のタネを明かしちゃ、だめだよ、と。