健忘録 「敵」とは何かって考えているうちは平和

 敵が称揚する価値を否定してその逆を主張している限り敵の言論空間の内部にいるのは、なるほどそうかもだ。言論空間の内部で対立する価値などにこだわっていてはらちが明かないってか、言論なんてぬるぬる。問題は利害。利害ってのはゼニ。対立的言論空間それ自体はただの反撃の名目に過ぎず、やるときは裏でがんがん実動部隊を相手の空間に引き入れて壊滅しなければ、完全な勝利を収めることはできない。
 揉め事に、勝ちも負けがないなんてわけがない。ないとすれば、そもそも実利害がなさげなekken V.S. yuki大論争のように異なる価値観のぶつけ合いにすぎず、冷笑であり、一瞬の勝利の美酒であり、徒労に終わる。そのように愉快なネタを得たいが為に揉め事を行うプロはいないってば。きちんと事をやるにあたってはきちんと落とし前とか威嚇とかが起きるよう努力されている。
 とはいうものの、このような考え方そのものも、また価値観の上に立脚したものであり、何らかのルサンチマンを作り上げているのだといえるのだろうとかいって、パンピーはお茶を濁しておくのが吉。麦茶とか。