ホリエモンの銀行構想というほどでもないが

 以前、週刊文春だったか、阿川の対談で、ホリエモンが一生懸命に見えたが、銀行のことを説いていた。手数料を減らせばいいということだった。そうすればカネがもっと自由になる。ってな話を読みながら私はこの人はけっこうシンプルに物を考える人だなと思った。それが悪いわけではない。
 同じ対談だったが、儲けは、薄く広く出せばいいんだというような発言もあった。そこは奇妙に頭に残っている。今、メディアで描かれているホリエモンは広く薄くではなく、狭く(密室)ででかくという問題だ。彼はそれ(狭くでかく)にどれほど関心があったのだろう。なにかを気まぐれに求めていたのかもしれない。
 ライブドアが検察にやられたころ、新聞(紙面)にグラフが載っていたのだが、つまり、楽天とヤフーとの事業の収益比率のようなものだ。ライブドアについては特にどうということはないが、2つ思った。楽天がけっこうやばそ。ヤフーが意外とオークションで儲けているのかということ。
 ちょっと話がいい加減だが、最終的に本当に巨額のカネをゲットするには、広く薄くするのが正しいのだろう。デイトレで100億稼ぐことはそれほどのことでもないのかもしれない(俺には関係ないが)。
 NHKが戸から月額2000円くらいか。新聞が都市部で4000円。これを人でならすと、テレビと新聞で一人2000円くらいか。大衆は週刊誌も本も読まないから活字メディアの費用はさらに薄いだろう。これに電話というか携帯がどのくらい乗っかるのだろう?
 いずれにせよ、そうした集金のしくみが現在のメディアであり、日本のメディアはまだまだその互助の上に成り立っている。
 というか、広告も似たようなものだろうな。総流通のどのくらいなものだろうか。意外と広告というのは単価の低い物に付随する。という意味で、これも広く薄くということ。電通の権力もそういうことだ。
 この広く薄い戸を基盤としたメディアの構造が、どこからか人とネットに切り替わるだろうか? 直感的にはスケールが違いすぎてどうしようもないという感じはする。
 ま、このあたりの広く薄い集金のシステムという観点でメディアの変化を見るとどうなるのだろうか。アホくさいこっちゃとも思うが、ちと考えてみるかな。