Googleというルール
話のきっかけはこれ⇒切込隊長BLOG(ブログ) - なんか「ウェブ進化論」の書評を「論座」に寄稿した件について
論座のそれを読んでないのでなんとも。
ただ、微妙なズレを感じるのだが、その微妙な部分がうまく言葉にならない。これは、梅田本についても似たものを感じる。
で。
いま、私たちが暮らしているインターネットのルールの一部は、明らかにGoogleによって創られている。そっちへのシフトが進化である、という価値観を分かりやすく提示しているのが本書であるなら、それはそれで問題ないと思うので私は本書を良書だと思う。
切隊さんの言うルールは言わば運用のルールというものだろう。
ほいで、私が、なんとなく思うのは、技術のスタンダードとしてのルールだ。もっと端的に言おう、UTF-8(with XML)とJavaScriptだ。
ちょっと下品な言い方だが闇黒さんみたいな、あるいは、徳保さんの言うような、W3C的というか、そういうWebのあり方はGoogleによって事実上パージされてしまった。というか、正論がすでに現在のネット社会(ネット資本主義)によってジョークとしか聞こえなくなってしまった。というか、それがわからない人々を後ろに残した。このあたりさらに微妙なんだが、ティムのユニバーサリズムというのもGoogleのユニバーサリズムに転換した。この差が課題として議論されないのはなぜか。
以前私はこれを書いた⇒極東ブログ: オントロジーのW3C規格化は無駄
私はこのときこう予言した、という物言いはよくないが、あえて予言したとする。
Pasta(パスタ)クラスは#EdibleThing(食べ物)サブクラスで、#Dessert(デザート)まは#Fruit(フルーツ)とは異なる、というのだが、おまえ、阿呆? もちろん、サンプルなのはわかる。だが、こんな話ではディオゲネスは樽の中でいびきをかいているだけだ。私の疑問は、これっていうのは、現在のRSSがマシン出力であるように、OWLもマシン内部の問題ではないか。たとえば、_| ̄|○でぐぐるとヴィルヘルム・レームブルックの彫像が出てくるように、シソーラスはマシン内で勝手にやればいいのではないか。繰り返すが、Googleのように現実のマテリアルを使って、ディスクリプティブなシソーラスを作り上げるアルゴリズムを開発すればいいだけではないのか。
手間を端折っていえば、Googleはネットにオントロギーを作り出したのだ。そして、それは、ネットによってそれ自体の生成性に近い状態で。そして、それは、かなり捨象していえば、ポピュリズムであり、ネット資本主義にハーネスされる運命にあった。もっともそこを超えるものはGoogleの狂気であり、そこが先のユニバーサリズムに関わる。
が、そうしたオントロギーを、古典的な人間が受け取るわけもない。切隊さんのいう人海戦術というのはそういうふうに私は受け取る。キャッチフレーズ的に言えば、ネットリソースを読むんじゃねー、本を読めであろう。(だから、逆説的にGoogleは本を食い出している)。あるいは、ゼニはそんなところから出ねー、だろう。
ではオントロギーは人海戦術に戻れる? そこはオントロギーのメタの意味によるだろう。我々の世界の限界はネット資本主義なのだから、Googleの現在のリザルトは満足のいくものだろうし、そうなるようになるだろう。つまり、いつか、生産と流通と消費は根底から覆るだろう。
ただ、Googleの狂気が志向しているオントロギーはもっと別のなにかだろうと思うし、そこにネット資本主義とのハーネスの差は感じられる。メモ書きでざらっと書いているが、たぶん、梅田さんはその差異をきちんと嗅ぎ取っていて、そっち側(Googleのユニバーサリズム)をある種布教的に書き、他面、それが産業を覆すパワーへのバッファの布教を書いているのだろう、と、私は思う。日本の既存産業構造に柔らかに引導を渡し、市民社会へのユニバーサリズムのフルーツをもたらそうとしているのだろう。その意味では、梅田さんは哲学者でもあり実践家でもあるだろう。そして、たぶん、切隊さんがヒヤッと見ているようにそれが成功するかどうかは偶然だろう。ただ、梅田さんは「はてな」にベットし、切隊さんは別のものにベットした。R30さんも若気かなんかベットしはじめている。私? 雑魚はどうでもいいでしょ。
と、当のUTF-8とJavaScript(prototype.js)については、きちんとまとめて書いたほうがいいだろうがここではしない。もちろん、Google=prototype.jsではないが……。
そして、そうしたものを含めて、実は、集団としてのはてながGoogle的な狂気を結果として担いだしているのだが……。
通じないと思うけど……
これ⇒ARTIFACT@ハテナ系 - はてなのサービスに自分のアイデンティティを託すのはやめようよ
これに、んだ、んだべ、そうだべとかしているはてなユーザーは実ははてなのコアからそろそろ逸脱しているのだ。つうか、そういう結果的にコミュニティ的な了解が求められる求心性はどうでもいいことなのに、はてなはラディカルにはてなであるということが重要なのだ。
追記
昔話⇒やはり多漢字は必要だ
こんなとか⇒「いま日本語が危ない―文字コードの誤った国際化: 本」
これもな⇒「Linux FreeBSD日本語環境の構築と活用SOFTBANK BOOKS: 本」
jSではこんなのも⇒ソシオメディア:W3C/WAI アクセシビリティ・ガイドラインガイドライン 6
6.3 スクリプトやアプレット、その他のプログラミング・オブジェクトに関する機能をサポートしていない、または機能をオフにしている状態でも、ページが利用できるようにする。もしそれが不可能なら、それとは別にアクセス可能なページを作り、そこで代替情報を提供する。[優先度1]
例:スクリプトで機能するリンクは、スクリプトをサポートしていない、またはオフにしている状態でも作動するようにする(リンク先にjavascript:を使用しないなど)。スクリプトなしでアクセスできるページを作成できない場合は、次の方法を利用する。
・NOSCRIPT要素を使って代替テキストを提供する。
・クライアント・サイドのスクリプトではなく、サーバ・サイドのスクリプトを使う。
・チェックポイント11.4で示すような、アクセス可能な代替ページを提供する。