スイス
⇒異国の客: 043 クリスマス、EUと多言語社会、コープランド、ブルギニヨン その1
言葉の違う人々が一つの国を形成して、その状態が何百年も安定している。
どうしてそんなことが可能なのかと考え込むのは、ぼくが日本人であるからかもしれない。
日本という国は言語の面において格別に統一性が高い。
日本語以外の言語がほとんど使われていない。
それが国家意識の中心にあるから、スイスのような多言語の国の形が理解しにくい。どうしてスイスはこういうことになったのだろう。
まず考えられるのは、地理的な条件が国の形態を決めたということ。
ともかく山である。
フランスから東に行っても、ドイツから南に、オーストリアから西に、イタリアから北に行っても、山を登ったところがスイスだ。
どこの領土にもならずに残された地に山を登って辿り着いた人々が、背後に残してきた言語圏の言葉を保ったまま国家を形成した。
彼らは互いの出自が異なることを決して忘れず、しかし一国でまとまることの利もよく承知していて、あのような国を作った。
一人の王の元に結束はしない。一つの言語に統一もしない。
カントンは地方自治体ではなく準主権国家であり、その連邦がスイスという国なのだ。
直接民主主義も民兵的な国民皆兵もこの国家形態に沿って作られた制度であるのだろう。利の方は世界第五位の国民所得がよく証明している。
非難とかじゃないけど、とほほ。
スイスの歴史、つまり、傭兵国家の歴史をどうして考えないのだろう。
⇒極東ブログ: [書評]スイス探訪(国松孝次)