関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する歴史書メモ
hokusyuさんより、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する歴史のリストをいただく。ありがとう。
今後の検討のためのメモとしてリストしておく。
⇒過ぎ去ろうとしない過去 返答及び追記
- 姜徳相『関東大震災』(中公新書)
- 関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会・調査委員会編『関東大震災と朝鮮人虐殺 : 歴史の真実』(現代史出版会)
- 山岸秀『関東大震災と朝鮮人虐殺 : 80年後の徹底検証』(早稲田出版)
- 山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺 : その国家責任と民衆責任』(創史社)
「関東大震災(中公新書 414)」姜徳相
中央公論新社 ; ISBN: 4121004140 ; (1975/01)
「関東大震災と朝鮮人虐殺―80年後の徹底検証」山岸秀
早稲田出版 ; ISBN: 4898272363 ; (2002/08)
「関東大震災時の朝鮮人虐殺―その国家責任と民衆責任」山田昭次
創史社;ISBN: 4915970221 ; (2003/08)
いくつかネットをあたってみると、年代的にもまた歴史研究としても、「関東大震災時の朝鮮人虐殺―その国家責任と民衆責任」(山田昭次)のあたりが主要な本のようだ。
それと、この山田昭次氏に関連して以下のような経緯があるようだ。
⇒資料 関東大震災人権救済申立事件調査報告書 日弁連
「関東大震災と朝鮮人虐殺 : 80年後の徹底検証」(山岸秀)をベースとしたエントリ。
⇒関東大震災・朝鮮人虐殺流言
被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。
吉野作造調査についてのネット・リソース
⇒FAQ in War History 【質問】 関東大震災の際,
この件の,一次資料としては,3つ.
まずは「現代史資料6 『関東大震災と朝鮮人』」,次に警視庁編『大正大震火災誌』,そして東京市発行『東京震災録』.
後は聞き書きとして,1943年に編纂された,吉河光貞検事の『関東大震災の治安回顧』があり,関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者・追悼事業実行委員会編『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件』がある.
これらを元に,関東大震災六十周年朝鮮人犠牲者・追悼事業実行委員会編『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件(増補版)』が編まれている.
さて,殺害された人の数であるが,内務省警保局のまとめでは,
朝鮮人:231名 中国人: 3名 日本人:59名
であるが,これは実数ではなく,刑事訴追を前提にした人数である.
内,裁判で認定された殺害人数は,以下の通り.
東京地裁管轄:39名,横浜地裁管轄:2名,千葉地裁管轄:74名,
前橋地裁管轄:18名,宇都宮地裁管轄:6名,浦和地裁管轄:94名.
計,233名.
しかしながら,実数としては以下の2つの調査結果の数字が挙げられている.
大正期の学者である吉野作造の調査,金承学が中心となった,独立新聞の調査.
前者,吉野作造調査(「遺稿・朝鮮人虐殺事件」)では,合計2,711名.
内訳は,東京:724名,神奈川:1,327名,埼玉:551名,千葉:141名,栃木:4名,茨城:44名,群馬:18名,長野:2名.
後者,独立新聞調査では,合計6,415名.
内訳は,東京:1,347名,神奈川:4,106名,埼玉:588名,千葉:324名,栃木:8名,茨城:5名,群馬:37名.
愛・蔵太さんの考察
⇒愛・蔵太の気ままな日記
2・ただし、2000名前後のかたがたは虐殺されただろう、という推測が私的には成り立ち、その虐殺者の多くは自警団ではなく警察・軍隊だった、という目撃証言もある(目撃証言以上の証拠が存在するかどうかは不明である)。