局所性の問題についてちょっとずつ
EPR 相関の意味での非局所性と、引用されている町田さんの文章の意味での非局所性は別の物なのです。後者の意味の非局所性はむしろ納得しやすい非局所性で、前者の方が「ぜってー嘘だ!」感があるのです(僕だって実験で示されてなければ絶対信じない)。とても深遠で面白いので是非理解してください。
反論とかではなく、自分の理解をゆっくり確認するという意味で。
この点について、私は理解していません。同じと考えていました(&います)。
(1) EPR相関の意味での非局所性
(2) 町田茂がラオホ実験をさして意味する非局所性
この2つが違うもの、ということですね。
で、
(1) EPRについては、原典もいだたいたので、基本的な誤解は文献の読み直しで対応できる。
(2)については、ラオホ実験の問題になる。
というわけで、ラオホ実験について、これから言及する、かも的予定です。
で、と。
「私は量子力学を理解しており大森以上の哲学を開陳しているのだえっへん」みたいな主張をしているわけではありません。ほぉ、トンデモ理解ですかといわれれば、ほぉ、そうですかと受け止めています。
ただ、物理メジャーのみなさんのおっしゃられることをそのまま受け入れるわけでもありません。このところの話の印象をヲチされている他の日記なども読ませてもらいますが、コペンハーゲン解釈またはエヴァレット解釈という2つかなという印象をうけますが、実際にはもっと多数の解釈が可能で、案外、解釈の問題ではないかなという印象をもっています。
あと、確率論について哲学的な問題に切り込んでいないので、そのあたりも、finalvent@ボケがなに言っているのはわかってもらえてないようにも思います。
あと、この話、実は、ベルクソンの読み直しに自分のなかでは位置づけています。
ベルクソン哲学を私はこれまでどちらかというと、洒落と見てきたのですが、もう自分はアカデミズムに戻ることはないので、ええい、ベルクソンに突入しちゃえ感はあります。
いずれにせよ、もう若くはないので、若さがだけが許す性急感はありません。