徐福

待っていた。
始皇帝は待っていた。
山東省の山に登って東方を虚しく望んだ。
 
東方の海を前に待つことの辛さを阿倍仲麻呂のように語り尽くせぬ者もいた。藤原清河の来唐時にはもう三十五年が過ぎていた。ようやく実現した日本への帰国を図るものの船は暴風雨よってベトナムへ流された。しぶしぶ長安に戻ると安禄山の乱が起こった。運命というものであろうし、すべての者が死ぬということの変奏にすぎないとも言えよう。
 
もちろん始皇帝も死んだ。彼の遣わした徐福が望み通り不老不死の秘薬を扶桑の国で見つけたことも知らなかった。願った者は得ることもできず、願わぬ者の手に他者の願いが残った。
 
徐福のもとに虚しく残ったのは果たせぬ命令であり、彼にとっては不老不死の霊薬ではなかった。徐福は彷徨うことも求めることもなかった。現地の女とあいだに残した子孫は栄えそして歴史に見えなくなった。それでよい。彼自身は不老不死を望まずその地で死んだ。現在の和歌山県新宮市である。
 
ところで君は不老不死の薬が気になるか。不死を得たいと願うか。愚かなことよ。秘薬適用の秘術の伝承は途絶えただ薬材のみが残るのだがそれを知りたいなら教えよう。天台烏薬である。養命酒にも配合してあるから少し飲んでみるといい。不老不死にはならないが、健康になったと思う人は絶えない。