ついで的に

 ⇒[R30]: 変化の波に洗われる巨船と波乗り木の葉

 あるいは、彼らは朝日というメディアの競争力が、自社の社員じゃなくて記事や写真といったコンテンツや新聞個配網といった流通プロセスにあるとでも思っているのだろうか。つくづくおめでたい方々だ。でもこういう美しい誤解が、今や朝日などのメディア企業に限らず既存の大企業に蔓延しているところが、何ともはやという感じだ。

 私は、「朝日というメディアの競争力が、自社の社員じゃなくて記事や写真といったコンテンツや新聞個配網といった流通プロセスにあるとでも」思っている、まさに。まさしく。
 それ以外にあるのは薄ら左翼=社会的良心の幻影というフレーバーだけだと思う。
 すでに台所の具はそういうフレーバーではどうしようもなくなっているし、屋台を支えているのは、まさに流通プロセスだけではないのか。
 同じことは、週刊誌ジャーナリズムでも同じ。支えているのは、流通プロセスだろう。
 しいていえば、紙面というインタフェースはディスプレイの100倍も優れていて、そう簡単には逆転しないことか。
 ただ、若い層はそうした旧流通プロセスには関係ない。端的に、紙面の新聞なんて読んでない。
 が、それは、というか、その大半は、メディアがただネタ化しているだけのことだ。
 出版がこれに一番鈍く強い反応をしているが、これももはや、屋台を支えているのはネタでしかない。竿竹屋新書はかつてならカッパのキワモノでしかなかった。もうちょっという、その流通を支えているのは、小銭である。
 朝日やNHKが壊れている下部構造的な変動は小銭だ。月額3000円を超える偽の税金なんか払えないのである。