若いときには年寄り相手で苦労をするもんだよなって…

 ちがうか。
 ⇒切込隊長BLOG(ブログ) - ”放送と通信の融合”じゃなくて”放送業界が通信技術を利用”だってばよ
 一部では常識化されている部分でもあるが。

 セルラーにおいてなぜ検索エンジンが重視されるのかと言うと、個体情報から検索内容を結びつけて広告効果を上げることができる一点にある。要するに、なぜ検索するのかという消費者の動機を一番早く察知できるのが検索サービスであるという当たり前の理屈なのだが、どういう理由かこの検索サービスで「無料で定着したらいずれ有料にしてパーソナルメディアにする」とかいうトンチキなことを言うアホが量産される結果になる。

 Google様のパーソナライズなんかケツの毛まで数えるものな。

高感度を謳えば謳うほど、ユーザーにとってのノイズが大きくなり、それであれば属人的な情報をかき集めたほうが良いだろうという話になる。

 これは変わらないだろうな。
 知識というのは、切り出して、ほいっていうものではなく、Art(技芸)を要求する面があり、技芸は関係を前提にしてしまう。

 モラルと権威について言うならば、モラルは技術者や建設業者だけのものではなく、権威はネット時代の法理で語りつくせるものでもない。地震になれば倒れるようなビルは建てないのとほぼ同義に、不況になればひっくり返る仕事は上場というEXITに相応しくないという、ビジネスマン側の哲学の不在に課題がある。この手の初芝力の欠如自体が対策されず、ただ新技術を武器にした市場主義の蔓延で右へ倣えする構造がおかしい。

 まぁ概ねそうなんだけど。Googleとかはてなとか度肝を抜くよな。技術じゃなくて、ボーナスの出し方とか。
 マイクロチップが出たとき、DOSが出たとき、ネットが商用化されたとき、HTTPプロトコルが使われだしたとき、YahooとGoogleが出たとき、ああ、世界は変わるなと想った。傍観者の私は見ているだけだが、そういうことで言えば、今そのあたりで変わろうとしているのだろうが、なんというか、世界史のもっと大きな動きというものはあるな。
 第二次大戦は悲惨なというかとんでもない戦争だったが、西洋の知の流れから見れば、第一次大戦はもう決定的なものだった。知が到達できないところに世界史っていうのは神のように動く。