マケドニア
これを読んで⇒カワセミの世界情勢ブログ: EU加盟は先送りとなったマケドニア
余談だが。
北部ギリシアを旅したとき、アレクサンドロス関連の遺跡の土産物屋に、マケドニア4000年とかいうTシャツがあったので、おもすれーとか思って買った。そのまま、アテネで着てたらうけるだろうか、いやアテネだと洒落が通じないかもと思ってやめた。
アレクサンドロスはマケドニア人であってギリシア人ではない…と思うがそのあたりは議論が難しい。昨今の現代史認識ではマケドニアはあのマケドニアということになっている。
さすがWikipedia⇒マケドニア - Wikipedia
マケドニアは
1 ヨーロッパのバルカン半島中央部にある地方名
2 古代に1.を領有したマケドニア王国。
3 1.の出身者が起こした東ローマ帝国の王朝(マケドニア王朝 (東ローマ)を参照)。
4 マケドニア地方の一部を占める旧ユーゴの独立国については、マケドニア共和国を参照。
5 イタリア料理のデザートの一種のマチェドニア。この地域から名付けられた。マチェドニアはマケドニアのイタリア語読みである。
6 ギリシャの地方行政区分(περιφέρειες)
中央マケドニア
西マケドニア
東マケドニア・トラキア
ここでは、1.について述べる。
歴史
マケドニアは、古代にアレクサンドロス大王を輩出したマケドニア王国の故地で、古くはギリシャ人が多く住んでいたが、のちにスラブ人が侵入すると、スラブ人が多数を占めるようになった。
微妙。
これだとアレクサンドロスがギリシア人に読める。まぁ、それでもいいのかもしれない。
現地の遺跡を見て思ったのだが、マケドニアの墓はギリシアのそれとは異なる。墓制が違うということは文化が違うということではないかと思った。
もちろん、彼の親族を見てもわかるがエジプトなどとの交流もあるし、ギリシア文化なるものは簡単に定義できないのかもしれない、つまり、ギリシア人とはなにかは難しい。
単純に言えば、当時の世界観からすれば、ギリシア人はペルシア人ではないということだが。
が、歴史の流れで見ていくと、アレクサンドロスというのはペルシアの王なのだ。
このあたり、西洋の史観というのはだいぶ狂ってるんじゃないかと思った。