さらにつづき

 ネットを見たらこんなのがあり
 ⇒AIJ=チョムスキー - 言語――内的なるメカニズム
 で、御大はこう言う。

その上、生物学的システムは進化を通して発達してきたわけですが、進化というのは修理屋のようなもので、美しい構造を設計しないんです。手に入る材料を使って、当面の目的のために機能するような構造を設計するんです。ですから進化は、どちらかというと、そこにあるものを使って、いちばん良い方法で当面の問題を解決するわけです。普通そういうものは、エレガントな解答を出して来ないものです。ちょうど修理屋がテーブルの上に転がっているものを使って何かを組み立てる場合のように。このようなことは、ずっと繰り返し気づかれてきました。

 なーんだフツーじゃん…と思うとこれにこう続く。

AIJ しかし、言語システムの場合は事情が違う……。
 
チョムスキー ええ。言語を研究していて驚いたことに、こういったことが言語には当てはまらないように思えるんです。例えば、句構造規則と語彙規則は余剰的で、両方とも同じことをやっているということを前に言いました。生物学的システムではこういうことは悪くないことでしょう。同じことをするのに二つのやり方があったとしても。生物学的システムの働き方というのは、そういうものだからです。物理学の問題を研究をしていて、例えば量子物理学を研究していて、同じことをしている複数の異なった原理を見つけたとしたら、何かが間違っていると思うでしょう。何かまだ理解していないものがある、もっと深い原理があると思うでしょう。でも、このような問題のアプローチの仕方は、生物学ではふつううまくいかないんです。同じことをしている複数の異なったシステムが存在するからです。ところが、言語の場合には面白いことに、このようなアプローチがうまくいくんです。こんなふうに問題にアプローチしたときにはいつでも、本当により深い原理が得られ、それまでの余剰的なシステムが全く間違っていたということが示されることに、結果としてなるんです。

 そして

AIJ とにかく、言語の研究をつめていくときには、物理学の進め方が気になるのですね。
 
チョムスキー 物理学で何か人工的なものが得られたときは、いつも気にかかります。例えば、どうして四つの異なる力があるんだろうか。どうして一つではないんだろうかと。こんなふうに心配して、もっと統一的な理論を見つけようとします。生物学的システムの研究では、こういうやり方はふつう間違っています。循環器系のエレガントな理論などというものはありません。それはただあるがままのものなんですよ。エレガントなシステムなんてないんです。ところが、言語の場合には、物理学に対するような知的態度で問題にアプローチすると、答えが得られるように思えるんです。不自然に見える原則があるときには、ふつう結局それが間違っていることが判明するというのが、どうも事実らしいんです。対称性とかエレガントさなどによって、正しい答えに近づいて行けるんです。 こういったことは生物学では一般に起こらないことが分かっていますから、なぜ言語の場合には起こるのかが問題になります。デジタル計算と非決定性と指示という特性と関係しているかもしれませんし、していないかもしれません。いずれにしても、たとえ生物界で唯一でないにしても、珍しいと思われる自然言語の特性の集合、例えば前に挙げたようなものがあるわけです。これは、どうにかして解明しなければならない印象的で興味深い事実です。このような特性をもっている唯一知られている他のシステムは、数のシステムです。これもやはり人間に特有のもので、恐らく言語能力の反映でしょう。というか、実は、恐らく言語のまさに一部なんでしょう。つまり、私たちは現在次のような状況にいるわけです。生物界全体の中で、一つだけ他の全ての知られているシステムと根本的に異なるものとして際だっているシステムがあり、それは人間の言語とそれにまつわる諸々の事柄である。それは、デジタルな計算システムであるという点で他と異なっており、指示の特性をもっており、その使用はでたらめでも予め決定されているものでもなく、ある意味で創造的である。他の生物学的システムとたいへん異なって、極度に単純で対称的でエレガントな原則を内包しているように思われるという興味深い特性を持っている。そして、どうしてこのような特性の集まりが生じているのか、あるいは進化を通してどのようにして発達してきたのか、私たちには全く分からないんです。

 チョムスキーはかくお茶を濁すのだが…このあたりはさきに触れたように反対者たちの論考との歴史で見えてきたものがあるわけです。