みじめさを知るというのはたぶん人間を知るということ

 ま、そーゆーことなのだが、これは、ようするに、人間の聖なる領域に関わることでもる。
 天使にもなり悪魔にもなりうる。
 変ないいかただが、フツーに惨めにぼちぼちでんなの人生を送るのはわるくない。前にも書いたが、グルジェフは子供のスピーシズに木を揺すらせ、落ちる木の実を差して、この一つも芽を出して樹には育たない。自然は多くを与えるが、成長するものはほとんどない、と諭す。
 ま、たいていの人の人生とはそんなもので、私の人生というのもそんなものだ。ま、終わったけでもないが、無意味だった。
 意味はたぶん青春というものが与えるものだっただろう。そしてその青春が与えた夢は破れ、私は無意味になった。芽の出すことない木の実のように私は朽ちていくのだろう。
 ま、それも悪くはないというかそれが生存のたいていの宿命でもあり、そこに幸せもあるだろうし、賢い生き様もあるだろう。
 ま、そんな繰り言はどうでもいいのだが。
 みじめさを得た人間は悪魔にもなりうる。そこに人を支配する根幹の力のようなものがあるのだろう。人はようするに実は惨めさのなかを生きているのだから、そこをうまく支配する技術というものがある。
 権力というのは愛のようなものを与える。権力を振るう側にも受ける側にも。
 悲しいかな、人は、普通は愛を得て生きているわけでもないから、権力の構図と悪魔の指図にきちんと収まってしまう。そういうものだ。
 言葉で言えば簡単だがそこから免れるものでもない。