bewaadさん、議論の進展、ありがとう。

 これ⇒■ [economy]財投機関債廃止のために郵政民営化をすべきなのか?
 ざっと読んだ感じでは、異論はないです。こうした問題を整理したかたちで読みたかったなと思います(もっともbewaadさんにしてみるとすでに書いているじゃないかということでしょうね)。
 以下、タメの反論ではありません。関心をもたれるかたがあれば、その参考としてください。
 むしろ、交通整理に近い話です。(結論を先にいえば、bewaadさんと私とでは原則部分での理解の差はあまりないようです。政府案の鵺的な性格をどう受け取るかの差異でしょう。)
 さて。
 この理解はそれで概ねOKです。

finalventさんの最大の問題意識は、いわゆる暗黙の政府保証にあるのだと受け止めました。財投機関債、すなわち政府保証のない財投機関発行債券は、法律上(ないし契約上)政府がその支払を保証するものではないにもかかわらず、市場からは政府が尻拭いをするに違いないと考えられ、この市場の期待が正しければ政府は法律や契約といった根拠のない偶発債務を抱えていることになりますし、それが外れていればデフォルトの際には市場を外部ショックが襲って混乱が生じる、というご指摘の通りひどい代物で、webmasterもその問題点をかつて指摘したことがあります。

 そして、だからこれも概ねOKです。というか、そういうことですよね。

翻って郵政民営化を考えるにこの考え方をどう活かすべきか。結局は郵貯簡保ユニバーサルサービス提供義務を是とするか否とするかをきちんと政策判断し、是とするなら形だけで内実を伴わない市場原理を中途半端に導入して建前と本音の乖離=暗黙の政府保証を生じさせるようなことは避けるべきですし、否とするなら他の銀行・生保会社と完全に同様に扱い、特定の会社のみに特殊な介入をして市場を歪めるべきではないということになります。

 bewaadさんとの問題意識の違いはこの先になり、それは、当然ながら、原則的に、微妙なものになります。
 少しその先の論点を絞り込んでみましょう。

じゃあユニバーサルサービス提供義務を課さない以上、銀行や保険会社同様チャネル戦略は完全に経営判断に委ねられるので、過疎地においてはサービス提供の停止もありえると公言してみろと思うのですが(笑)、このようなその場その場に応じた説明の使い分けは、暗黙の政府保証に対する市場の期待を増やすことこそあれ、減らすことなどあり得ません。

 このあたりで少し議論に繊細さが必要になるところです。
 まず、郵便事業ユニバーサルサービスですが、これは民営化すべきではありませんし、この点は、政府も了解ずみです(と理解します)。
 問題は、郵貯簡保ユニバーサルサービスということになります。
 これは、原則としては、ありえません。
 竹中が次のようにいうのは当然です。
 ⇒竹中平蔵氏が語る郵政解散の舞台裏 - nikkeibp.jp - 注目のニュース

 専門家と称する人たちも法案の中身について熟知していないことは大変残念です。例えば「法律は何本出ましたか」と聞いても答えられない専門家も多いんです。全部で6本の法律を出したんですが、実は銀行と保険会社については法律は出ていません。
 ここに非常に大きな意味があるわけです。なぜかと言うと、銀行と保険会社はNTTのような特殊会社ではなくて、純粋な商法上の一般法人になるからです。
 だからこそ株は100%売却しなければいけないんです。国が関与しないんだから。そこに改革の本質が貫かれていると思います。こういうことを指摘した専門家は1人もいなかったですね。これは仕方がないです。郵政って難しいんですよ。

 問題は、国際慣行というか、先進民主主義国において、銀行と保険会社は純粋な商法上の一般法人になりますが、日本では長い因習からそれをおいそれと移行できないということです。
 この点までもbeawaadさんとの考えの違いはないと思いますが。
 そして、この先が微妙です。

以上のように、finalventさんのロジック(これについては繰り返しになりますがwebmasterも大賛成です)をもって政府案を見ていけば、少なくとも政府案による民営化は財投機関債と同様に公的部門の果たすべき役割と民間部門の果たすべき役割を分別しないままその境界を曖昧にするものですから、反対せざるを得ないのではないでしょうか。

 ええ、「finalventさんのロジック」では、現状の政府案による民営化については、「財投機関債と同様に公的部門の果たすべき役割と民間部門の果たすべき役割を分別しないままその境界を曖昧にするもの」、よって、「finalventさんのロジック」としても、現行の政府案に、「反対せざるを得ないのではないでしょうか」ということ。
 そこが少し違うのです。その違いは、少し別次元に踏み込むので、議論のカテゴリーエラーにとられるかもしれません(つまり、経済機構上の議論はbewaadさんの認識で間違いはないでしょう。)
 その小さな違いがなぜ結果的に大きな違いに見えるのか。
 繰り返しますが、問題は、国際慣行というか、先進民主主義国において、銀行と保険会社は純粋な商法上の一般法人になりますが、日本では長い因習からそれをおいそれと移行できないということです。なので、曖昧な領域が積極的に必要になり、かつ、その曖昧な領域を斬新的に解決していく政治主体が必要になるのです。
 だから、その政治主体をいまこそ日本国民が作ろう、小泉の後の政権(小沢が視野に入ってきました!!)にゆだねていこう、今は、まず、この決戦にいどうもう!と思うのです。
 この政府案は、竹中の苦心で、最終的なとこで民営化への魂が生きています。問題は、後の運用とその運用を決定する政治力にかかっているのです。
 そして、その代案を私が否定するのも、政治的な視座によるものです。
 なので、bewaadさんの

財投機関債の問題はそれを廃止すれば済むことですし、webmasterは財投機関債を郵貯簡保が購入しているから問題だとは思いませんが、百歩譲ってそれを是としても、郵貯簡保の運用先から財投機関債を外せば足りる話です。

 「郵貯簡保の運用先から財投機関債を外せば」という点の現実の政治闘争の問題になるのです。敵、特殊法人の強さは前回の改革の骨抜きで見えたとおり、理論上はそうであっても、現実の彼らの権力の前には運用が骨抜きになります。彼らより強い国家権力がいまこそ必要になる、と私は認識しているのです。
 小泉に対しての反対の多くは、この強い国家権力への反発があるのでしょう。しかし、本質的に国家権力とは社会から市民守るものであり、日本の特殊法人などゲマインデ的な権力は市民を圧殺するもので、おかげで、日本国民は自分の富というものを使うことができませんでした。国家がむしろ保護すべき市民の所有権すら確立されていなかったわけです。
 という議論は、おそらくbewaadさんには、明後日向いていると受け取られるかもしれません。
 別の切り口で簡単にすれば、法の運用の多様性を決定する政治権力を選びなおすこと、そしてその権力のエネルギーであるカネのシステムを変更すること。
 くどいですが、そのために、今、この暫定的な権力を国民が意識的に選び直そうということです。
 そして、補足を私も。

財投機関債と補助金等との関係

 ここは、私の論点の立て方が曖昧でもあり、また曖昧な部分が誇張された経緯もあるのですが、財投機関債の現状の実態については金額ベースでみればそれほどの問題ではありません。ただ、こいつが初期段階の癌細胞みたいなものだということで見ています。これは、前回の改革の結果でもあったのに骨抜きされていることその歴史経緯の持つ意味を問い直すための経緯です。なにより、本来なら、特殊法人は、財投機関債のみで動くという矛盾を抱えているということの指摘のための道具です。現状の財投機関債の偽の政府保証を徐々に外して特殊法人のフィルターにかけるツールにもなるはずです。

金融庁総務省の所管の違い

 ちょっと言葉がきつくて申し訳ないのですが、この点のbewaadさんの認識は国際的には通じないと思います。