ヨブの苦しみには意味がない…

 人は苦しみには意味があって欲しいと思うし、つらい経験をすれば、転んでもただでは起きないではないが、なにか経験なりを得る。経験も、カネのように、人にまとわりついていく。
 ヨブの物語の決定的なことは、ヨブの苦しみには意味がないということだ。
 よくいろんな人が本当の宗教とはとか、本当の神とはとか問う。
 こういう問いがいやったらしいのは、問う人は、答えの予感を得ているのだ。それがまったく無意味な問いだとはなかなか思わない。ま、人の意識というのはそうできているのだから、しかたないのかもしれない。
 で、も、それに類するのだが。
 多くの宗教とか人生観とかは、ヨブの苦しみには意味を与えてしまう。
 私は生きてみて思うのだが、多くの苦しみにはあまり意味がない。少なくとも、意味がないことも多い。
 意味を与えてしまえば、世界を他者をその意味から眺めることになる。
 苦しむ人に、やがて、よくなりますよとか言う。
 この苦しみはいつか栄光になるのだとか言う。
 しかし、そうなるとは限らない。それが事実だ。もっとも、その事実をどう受け取るかとリフレームすることはできるが、たぶん、むなしい。
 意味は、世界と他者を裁く。それがあるようにはそれをあらしめない。つまり、私の意識は常に裁き、闘っている。しかし、それは、かなり虚しい。
 ま、生存者は常にその時点までの勝者ではある。しかし、そこにベットして人生の意味を思うことは、無意味かもしれない。