こんな話題にクビ突っ込むなではあるが…

 これ⇒モヒカン族と社会契約説と国家主権

よくよく見てみると、このモヒカンの跋扈する世界というのは、社会契約説でいう「自然状態」に近い。

 なのか? というか、どっから拾ってきた説明かわからないが「社会契約説」としてこうある。

社会契約説
自然状態とは、政治や社会の秩序のない人間本来の原始状態のことです。ホップズはこの自然状態が「万人の万人に対する闘争」に陥ると指摘しました。ロックは自然状態にもそれを規制する自然法があり平和であるが、公権力と実定法がないため容易に闘争状態に陥りやすいと唱えました。

 しかし、モヒカン族って…

技術原理主義者。規格至上主義者など、ネット社会の中で殺伐とした議論を好む人達…

 なわけで、ホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」ではなく、ただの、代弁悪魔のいない異端審問でしょ。
 単純な話、技術原理主義、規格至上主義、というのは一定の集合しか規定しない。
 だからその集合というか、その集合を派生させる関数というかを規定すれば議論は有限なので、議論にもなりようにない。
 っていうか、実際に殺伐とした議論とかって、あれですよ、日本語ユニコード論とか。
 XMLUTF-8が標準だけど、日本語は…ってな議論。
 っていうか、fjで殺伐とやっていたあれみたいな。
 アホクサさっさとGoogle様が世界を伸してしまえ!でUTF-8に決まったというあれ。
 モヒカンの原義でいうなら、Google様、最強のモヒカン族ですよ。(Googleの吐くきたねーコードにケチつけるだけ負けというくらいなご威光。)