ネタにされたということか?

 ⇒童貞大百科
 ちょい昔にあったネカマにメール晒されたというのの拡張か。
 よくわかんね。
 ご愁傷様なのか、そんなのにのこのこ行くなよなのか。
 ネット的には「童貞」がキーワードなんだろな。
 切隊さんとかも洒落のめしているが、童貞っていうのは、ま、男としては、イタイことになっているのか。米国だと…

 こんなんでもありではあるが。
 私の上の世代はいわゆるフリーセックスの時代で…ま。
 私の世代はなんかなにかと沈んでいた。
 今でもそうなのかもしれないが、性的にマセというのと遅れというのは個人差がある。そして、その個人差が随分拡張したような時代にも思えたものだが、私より若い世代は、なんとなく、その差がもっと先鋭化しているのかもしれない。
 あれほどその道を究めた吉行淳之介も初体験というか童貞喪失のことは語りたくないと言っていたように思う。
 私より上の世代の、もちょい上の世代だと、柴田翔とか五木寛之みたいな感じだろうか。ま、私の世代もそんな感じかと、世代論にまとめることでもないか。
 自分の世代までだと、若い人の性関係はまさに「関係」なもので、軋轢がつきものであったが、現代の若い子はどうなのだろうか。ざっと見るに、吉本隆明が娘のばななを評してあっさりしたもんだ、深く関係しまいとしていると見ていたが、そんな感じだろうか。
 性というのは、いろんな人がいろんなことを言うわけで、私のぼそぼそもさして変わるものでもないが、性的な成熟というのは、その男なり女なりの個人の側の性の実現としてもあり、また、関係性としてもある。古典的には、後者が注目されたふうでもあるが、歴史を見るとそうでもない。個人の、つまり、パーソナル・ヒストリーなりでみると、男の場合、童貞であって、そして、そうでなくなって、という過程の性的な成熟がなにを意味しているか、そのあたりのところで、実は、なにかが問われなくなっているようにも思う。と気取るまでもなく、関係性のなかでの性の成熟といったものである。
 ま、そのあたりというのは、個人個人の差がかなり出るものでもあるし、どうも男女というのは、抜本的に間違った関係というのも多々あり、しかも、そうした性の成熟の過程とあいまって、どこに出口があるのかわからないようなドロドロの関係になっていくこともある。
 教訓を述べたいわけではないが、童貞の先には、きっと、大変なものだろうと思う、誰でも。