孤独というか…
幼い頃、ある意味で、ひでー孤独におかれつづけたせいか、20代になるまでも、そのあたりは一種の精神疾患的なものがあったかと思う。
20代後半にパソコン通信というができて、奇妙に心の通じる人はいるものだと、はしゃいだ。それが5年くらい続いただろうか。そしてあと5年はなんとはなしの惰性だった。
世の中広ければ、孤立した精神的な傾向というもの、それなりに類似な人はいる。
そして、孤独は孤独だというか、それはそういうもので、どってことないなと思うようになる。
ま、そんなことはどうでもいいかというふうにもなるし、生きていると、社会というのはそれなりの役目を課すわけで、孤独とかぬかしている余裕はない。
ただ、なんとなくだが、孤独というのはを癒すのは正義への希求ではないかとなんとなく思う。
正義への希求というのは、ださいし、それ自体が間違いの元ともいえるのだが、それでも、この世界をよくすべく自分になにが貢献できるだろうかというドライブというのは、ある程度素朴にあるだろうし、それは孤独のバーターでもあるように思う。
大人というのは、正しく正義が希求できる社会の可能性を作らなくていけないのだろうと思う。
問題は、正義そのものの希求ではなく、その可能性の側なのだろう。
なにが正しいかはわからない。正しいことなどなにもないのかもしれない。しかし、正しいことはなんだろうと社会問いかける余地の可能性は、ある種心の健康のようなものでもあるだろう。
ま、そんなことをちと思う。