嗤う日本の「ナショナリズム」
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しいていうと、吉本隆明がコムデギャルソンを着たのを評した?浅田彰の言葉に著者は共感しているらしかったが、そのあたり、吉本隆明の80年代のハイイメージ論とか埴谷雄高の論争とか読まれているのか、????だった。というか、捨象されているのでしょう。もうちょと言うと、あの時の吉本には、彼が戦後問い続けたスターリニズムの問題があり、本書で扱われている60年代?からの事例もそれに則したもので、その意味で、ソフトスターリニズムの動向みたいのも捨象されているので、なんか、世界から日本がぽっかり浮いているような議論というか、日本それ自体を仮想世界にしている印象は受けた、っていうか、現在の若い人にとって思想とはそういうものなのかなとは思う。
皮肉ではなく、それで議論の枠ができて、なんか論ずべきことがあるのかもしれない。というのが、私はさっぱりわからない。
個別なところで、「電車男」って、ざっくり言えば、やらせでしょ。日本の「ナショナリズム」といっても、プリミティブなものが韓国だの中国だの反照されているだけはないのか? という以前に、たとえば、韓国や中国の現代のナショナリズムってすごい変、って思うのが、そんなプチナショナルってことでもないと思うが。大衆がその状況でクチを開いたという以上でもないし、大衆は大衆だし、というくらいなことではないのか。
ま、よくわかんないので書いてドツボリました。