さらに、アジャパー…じゃなくて…

 書きながら脳のなかでウィスパーしているかというと、してるのだろうか。わからない。私のしゃべりはかなり早い(その気になれば)。でも、実際はそうでもないか。うーむ。
 若いころはこれがひどくて、論理破綻だの飛躍だのがんがん批判された。今にして思うとそういう部分はもちろんあるのだろうが、どうも、ただ、高速だった、というか話がマクロアセンブラ的だっただけだったのではないかとも思う。
 TVレコーダーを買い換えて、トークものなど1.5倍で聞くがそれでもたるい。
 読書はあきらかにウィスパーしてない。読む対象によって速度はかなり違う。それでも、概ね速読に近い。速読技術みたいなのはよく話題になるが、速度のコツというのは、分かり切ったぐだぐだをマクロ化することではないか。だいたい人間の考えていることや思考の形態、論理の演繹などはそれほど複雑ではないのだから、情報の量と論旨の展開で、かなりマクロ化されるはずだ。
 ただ、逆に、なんどなんども読む本というのは、著者の肉声が聞けるくらいまで読む。脳というか思考をassimilateしているようでもある。音楽を聴くときもそういうことがある。こうした脳の使い方はなんだろうかとは思う。