京都発見 禅と室町文化
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内藤湖南の日本文化は室町時代に文化思想的な自覚が生まれた…という説に梅原は…
私は前々からこの説に疑問を感じていた。もしこの説を採るならば、『古事記』や『万葉集』ばかりか『源氏物語』も『古今和歌集』も厳密には日本の古典ということができないことになるからである。この説へのこのような疑問もあって、私はいままで室町文化についてあまり深く考えようとしなかった。しかし今回、この『京都発見』の旅で室町文化を調べるにつれ、湖南の説も一理あると考えるようになった。
も、なんか、いきなりorzなんですが、っていうか、梅原もこの歳で言うのかぁという感慨。室町のところで日本の文化歴史は強い断層がある。というか、我々が平安文化と見ているものは、室町時代の擬古でもあるのだ…完全にそうでもないが、それが、そうでもなく古代が見えるように思うのは江戸という近代と明治という近代の、近代ゆえの文献学的な擬古幻想でもある。
書籍としては、一休について触れているわりに食い足りない。しかし、今更一休をどう描く? 日本に禅文化などありはしない…とつぶやきたくなるがそうも言い切れない。
この本で面白かったのは白隠についてだ。
私は日本の仏教は平安時代の初めと鎌倉時代の初めに優れた祖師を排出して、その遺産によって現代まで生き続けているとしばしば論じたが、その見解は正しくなかった。
そんなのあたりまえじゃん、と、ツッコむが先に進む…
少なくとも江戸中期に禅の世界で、白隠という革命児が出て、新たなる禅仏教を打ち立てたというべきであろう。
んなもの、師家の系譜を見れば明らかじゃんとツッコむ。日本の禅は白隠だらけだ。
鈴木大拙は禅仏教を世界に知らしめたが、彼のいう禅仏教も結局、白隠の仏教に過ぎなかった。そして今日、西欧をはjめ世界の人たちがもっとも注目するのは臨済禅であるが、この臨済禅は白隠の流れをくむ禅なのである。
んなあたりまえのこと言わんでくれぇという感じだが…師家を離れて近代が論じた禅はそういう側面を覆い隠していた。白隠についてはいろいろ思うことがある。梅原も白隠は謎だとしている。たしかにそういう側面はある。
ただ、こうした禅が、道元禅師の残された正法とどう関わるのかといえば、ほとんど関係ない。
しかし、そう切り捨てるわけにもいかない。そこには日本人とはなにか日本文化とはなにかが問われている。美とは価値でもある。柳田聖山曰く一休宗純滅後の真筆「仏界入り易く、魔界入り難し」である。