今日の新聞各紙社説は…

 産経の朝日・NHK問題がよかった。産経というだけで右派と思う向きもあり、ま、私がそれだよ、のクチでもあるが、個々の社説はきちんと目を通す。結果パスすることがあるにせよ。
 今回と限らないが、朝日のイレッサのネタでもそうだが、科学知見に公的な立場で言及するときはそれだけの知的な整理が必要になるだろう(経済の問題はやや難しい、というのも経済学は社会学同様本質的に疑似科学だからだ)。同じことはブラックバスの問題についてもいえるのだが、こちらは実際には過度といえるほどに政治化している。
 社説に関係ないが、日本社会も変わり、右翼・左翼、ウヨク・サヨク、ウヨ・サヨだのが言説の表出としては多様になってきた。多様のままであればいいのだが、その表層の部分でのゲーム化も始まっているように思う。このゲームに私は参加したくない。問題は、こうした多様性というのは民主主義の常態なのであってそれ自体は議論の対象ではない。それが問われるのは政治である。それを問い突きつける言説は政治の権力性を帯びている。私にそれが向けられるときはまずそこをほぐしたい。
 議論というものは、こうした状況では、特定のシングルイッシューをきちんとフォルマライズし命題として明示化し、そしてそれについての最低同意できる部分をまとめ上げていくことだ。朝日・NHK問題について言えば、まずなにが問題なのか。朝日の12日の報道が真実か否かを問うのか、それは真実でも否でもどうでもよくNHKの体質を問うのか。問題がフォルマライズされなければ議論にはならない。そして、議論とは、表層的な党派性の表出というゲームではなく、最低限に合意できる条件とはなにかを問うことだ。