決意は小さくする

 決意を派手にする人間は、私の見る限り、嘘になる。嘘にならない程度に、小さく意志を持つ。意志を育てる。意志というのは、ある意味で、花や動物を育てるのと同じだ。
 私は市民として政治に多くの疑問を持つ、しかし、意志をもつことができる領域は少ない。
 なぜなら、意志は私の意志であって、市民として疎外された構成要素の意志ではないからだ。
 意志は私の絶対的な企投を要請する、しかし、人はそこで欺瞞に陥るだろう。というか、人がある社会的な位置で存在していることと、その企投とは同じだ。
 だとすれば、人はただ運命を生きるだけだ。
 だから、意志は小さく持つ。決意は小さくする。私はこの日記と極東ブログに関して、実は、たった一つ小さな決意をしているだけだ。ダルフールの死者を忘れないこと。それは、津波に死んだ25万人をもの人を忘れることでもあるかもしれない、そういう位相で問いつめるなら。