なんというか、その2

 ま、私なんていう矮小な人間などどうでもいいことで、つつましく、書いているわけだが…ええ、そう思っているのですよ。見たい人だけが見られるわけだし。
 で、私という人間は、精神の根幹は、救いようもないほど孤独です。自分でいうのもなんだけど。実生活や職業など社会面では自分というものを出さないです。これは、子供の頃からずっと。
 ネットの世界が出来るようになって、あれ?という感じはして、人生は変わった。単純な話私が文学的こと哲学的なことに関心を持つことすら誰も知らないし、そういうのに関心を共有できる他者いるとも思っていなかった。しかし、そうでもないんだな、世界って広いものだな、と。
 で、ま、私という人間は、というか、洒落のハンドルfinalventは、この日記と極東ブログにしかいませんよ。フィクションといえばフィクションです。でも、人間なんんて、言葉のありかたとしては精神的な存在でしかありません。私という肉体を持つ人間が愛するという意志を持つとき、この精神的な存在は、むしろ矛盾しています。ネット人格とか言われると困るのだけど、それに、正直に言うのだが、内面の孤独がつらいから書いているのだが、それでもだめとわかれば孤独になるだけです。人はだれも孤独に死んでいく。いや、精神は孤独なものです。
 で、finalventさんは、結局、この日記とあっちのブログで書いたものでしか定義できない。お前はこういう人間だろと問いつめられるなら、そこに書かれた総体でしかない。私がサヨクかウヨクか…それは私が書いてきたものだけで定義されるだけです。
 ただ、ちょこっというと、この精神的な語りの存在は、おそらく、大森荘蔵のいう語り存在という洒落ではないけど、実在なのだろうという思いもありますが。