牛過窓櫺

 先日の父母未生以前本来面目を解いて(まあ解いたとして)、気になっている公案はこれだ。なんで順次気になるのか不思議にも思うのだが。
 牛過窓櫺は、自分が思うに、半分は解いている。そしてこれを実際に解く難しさに途方にくれている。というか、俺はこれを解く気があるのかと思う。
 それとどう関連しているのか、人間の決意というもののもろさを思う。
 というのも、新年なのだが、なにかresolutionは? と問われて、よくわからない。人の意志というもののありようがよくわからない。
 それと、またもって意識というのものがよくわからない。これは哲学的な問いというだけではない。先のロルフィングでも思ったのだが、腰痛というのは、多分に心、あるいは意識の問題だ。無意識と言えばそうだがこれがそんな単純なものではない。
 無意識というのは一般に言い表しているよりかなり奇怪なしろものだ。
 たとえば、かなりの人には破壊衝動があり、それが無意識になっている。これを除去できればどれほどか生きやすいだろうか。しかし、そう簡単に除去はできないし、その問題意識に捕らわれればサイエントロジーだの探求の罠に陥る。