切隊別 就寝前の悩み事
関連⇒部 室
思うことはあるが、今は、ちょっとひく。
「どらえも〜ん」氏の放言…
これは気になるな。放言であることはわかる。
ちょととウンコが飛びそうだが、この放言に隠れているシンプリシティの感覚はリフレ派全体に言えることで、で、これに対して日本の実ビジネスの、どぶ板方向に関わった経験は感覚的についていけないのだが、その実感のありかたに、リフレ派的な対応は「あんたバカ?」というだけに思える。そして、そのバカ?は事実でもある。だが…と思う。あえて言うと、理論的なソリューションがあるとする。でも、それが適応できない現実があるとすれば、そのモデルは実政策に役に立たないかそれ自体がイリュージョン化しているのではないか。もちろん、こういう言い方にはなんの説得力もない。かくして、黙る、ということになる。しいて当方側が理論的に言うとなればハイエクでも持ち出す程度だが、ちょっと趣味悪いですよね。
話をずらして、山本的には…
景気が良くなればそれで解決、というストーリーについては、あまり現実的でないとすると現状のニートに関してはまったく救いがなくなることを意味して辛いといえば辛い。
いちごびびえすは私が出て行くと荒れる傾向にあるんでここに書いて申し訳ないんだけど。
というあたりが、洒落でなく、「社長」ブログの社長の顔が出てくるところが…偉いのだけど、なんというか、言葉につまる。
さらにずれるが、実際の日本のビジネスを動かしていたのは、でも、こういう一種のヴェーバー的な責任感覚なんだが、ただ、それでも、マネーゲーム化した世界はマクロな理論の整合が成り立つ。っていうか、博打と同じで理論的に解析された博打みたいなものだ。幸いか災いか、実経済はクローズドなゲームではないので、常に構造動因が動く…そして、そこは、必然的に政治につながるのだが、が、そこを切って端的なモデルにしても、頭のいいやつは勝てる…となると、あとは、最後は、歴史の感覚だけだな。歴史はそういうことを許しはしないよ、と。そして歴史は、人に、最後に倫理を問いかけるよ、と。でも、そう話を流せばただの道徳論になってしまう。ただ、それでも、違うのだ、歴史の問いかけるものは道徳ではない、知恵なのだ、と。歴史に理論はないが、知恵を伝えるのだ、と。