男と女ということ

 私は恋愛経験が豊富なほうではない。まして、性については、青春時代は放埒な世代に挟まれていたので、むしろ戦前のような倫理を持っていた。しかし、40歳も過ぎてみれば、恋愛経験が豊富というのはなにかの錯誤であろうし、性的な体験というのは特定の人生の意味づけがない快楽であれば、人の魂を少しずつ壊すものかもしれないとも思う。まあ、過ぎ去ったことだし、そうして過ぎさることが人それぞれの人生なのだろう。
 と、書き出したものの、うまく書けないのだが、細かいニュアンスを除けば、一夫一婦制は男女を育児に向けて配分するシステムの一つの現れかもしれない。当たり前ことかもしれないのだが。現代、そういうものはなくなっているのだから、育児が崩壊しても当然だろう。少数のもてる男女というのが、ご活発にしているだけで、その流動的な恋愛が彼らを社会的に意味づけているのだろうが、そこには、社会からの意味づけがあるだけで、自分がメイトを見つけ、子どもなすという意味づけは欠落する。
 そうした意味づけは結局のところ、どのように理性的にも来ないし、公的な意味での道徳性でもない。
 むしろ、もてない、という否定性のなかで、確信されるものかもしれない。