安藤ゼミナール同窓会

先生の論文集「マックス・ウェーバー研究」の後書きの中で、種々の戦争体験を述べておられますが、敗戦直後の沖縄での御体験は特に印象深いものと思われます。先生は宮古島沖での掃海作業に通訳として参加されたのですが、ある米軍将校との対話が報告されております。そのとき先生は原爆の事を話題にされたのですが、はじめその話題を避けていた将校がやがてガックリと首うなだれてこう言ったとのことです。「原爆投下はアメリカの歴史に拭うことのできない汚点をつけた」「あれはわれわれの罪である」。こうして彼は先生に対して、そして日本国民に、許しを乞うたとのことです。あの敗戦直後の事であり、先生は異様な感動を受けたと述べておられます。この時の深い感動が、先生にアメリカにおける近代市民社会の不滅の文化遺産を確信させたとの事でした。「(この体験にこそ)ウェーバーがくどいほどくり返した〝客観性〟〝ザッハリッヒカイト〟(即事性)すなわち〝ヴェルトフライハイト〟(価値感情に囚われない自由な精、神)の見事な実例を見ることができたと思った。後にこの精神の原点を求めてウェーバーと共に予言者の世界にまで関心が伸びていった根本動機には、この時宮古島沖で受けたショックが潜んでいるとこのように先生は述べておられます。
 今ひとつ、先生の「ウェーバー紀行」のなかから印象深い一節を思い起こして置きたいと思います。先生はヤッフェ未亡人つまりリヒトホーフェン女史と会見出来たことを、最大の喜びと表現しておられます。会見された当時は既に95歳の御高齢でしたが、その昔ウェーバーの最初期の女子学生であり、終生彼女の夫共々ウェーバー夫妻と親しかったと言われている方です。そのリヒトホーフェン女史の証言として次のように述べられておりました。「私が丁度研究を始めた時、ウェーバーは私にこう言ったものです。〝君が真っ先に読むべき本は、アダム・スミス、リカルドー、それにマルクス資本論〟だと。そう言って彼は分厚い三冊の本を自分の書庫からとり出してきて私に貸してくれました。」と。このエピソードは、勿論、ウェーバーの学問の根底にあるものを示唆しているだけでなく、安藤先生御自身が私共に、社会科学に向かいまず何から出発せねばならぬかを教えてくださったものと理解いたしております。